復讐の願い 2






 辺りには人の吐息と、ぴちゃぴちゃという微かな音だけが響いていた。
 あたし達の前で女が地に這い蹲り、自分より年下の少女の足を舐めている。
「どう、お兄ちゃん?妹の足はおいしい?」
「ん……」
 問いかけに答えず、女は少女の足を一心不乱に舐め続けている。
「答えられないほどおいしいんだぁ……すっかり変態さんになっちゃって……。
 これが外面と頭だけはよかったお兄ちゃんだとは誰も思わないね」
 少女は蔑むように女を見つめ、言葉で嬲り続けていた。
 もっとも、女は少女の言葉などもう理解できないだろうけど。
 今、彼女の中にあるのは目の前にいる、自分の従うべき『妹』への服従心のみ。
 知識も、記憶も、名誉も、誇りも、願望も、屈辱も、何一つ覚えていないだろう。

 今の彼女は、年齢と背の高さと視力以外は全て妹以下の能力しかない。
 かつて優等生と言われてた『男』の面影など、どこにもない。


 ……なんでこんな形の復讐になってしまったのだろうか。

 話は数日前に遡る。

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前回までのあらすじ

喋る事の出来ない少女『ふたば』は、一匹の子犬を拾う。
『わかば』と名付けられた子犬は、実は魔法少女だった。
ある日、ふたばの兄『きよひこ』が死んでしまう。
その翌日、ふたばの友人『すみれ』は『トカゲのジョージ』という謎の人物から「きよひこは殺された」と聞かされる。
その犯人は、かつてふたばを襲った『としあき』とその仲間達であった。
すみれは、わかばとジョージの力を利用し、としあき達に復讐し始める。

そして、としあきの仲間のうち『マサヒコ』と『タカアキ』に対する復讐を完了した。
マサヒコは男性恐怖症の女にされ、わかばの遊びで変えられた家族にレズ調教されることとなった、
タカアキは自分好みの少女にされ、自らが少女達に行ってきた性的虐待を自ら体験させられ続ける事になった。
しかし、この二人はふたばレイプの実行犯ではない。

残る相手はとしあきと『ヒデユキ』、そして『ノブオ』の三人。
はたして、当事者不在の復讐劇の結末はどうなるのだろうか。
きよひこの心と感情を持ってしまったすみれは、ふたばにどう接していくのか。
そして事件の裏に隠された真実はなんなのだろうか。

答えはまだ、誰も知らない。

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「としあきさん、大変っす」
「どうした、ノブ?」
「タカアキさんと連絡がつかないんです」
「タカアキも?」
「へえ……他にも連絡がつかない人いるんすか」
「ああ、マサヒコもケータイ繋がらねえ」
「どうしたんでしょうね……」
「どうせどっかで遊んでんだろ。心配するだけ無駄だって」
「そういえば、ヒデユキさんは?」
「あいつはバイトだろ。いつもの事じゃねーか」

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 ……退屈。
 すみれは晩御飯の買い物。わかばはお昼寝中。……やること、ない。
 どうしたんだろう、一人でいることは別に苦でなかったのに。今は、とても寂しい。
 最近一人でいると、考え込んでしまう。将来の事とか。
 ……どうしようかな、仕事。
 今は兄さんの残したお金があるからなんとかなるけど、それもそのうちなくなっちゃうだろう。
 となると働かなくてはならない。だけど、今のわたしに出来る仕事は限られてくる。
 在宅で、人と会わない仕事……なんかスパムメールで送られてくる内容みたいだ。
 行政の世話になるというのも手なんだろうけど、それは最後の手段。
 まだわたしは、自分にできるだけの努力はしていないのだから。頼るのは、その後でいい。
 すみれも協力してくれている。だから、まだ頑張る。
 ……それにしても、すみれ、まだかな。寂しい、早く会いたい。
 見つめていたい、話をしたい、触れ合いたい。
 すみれの綺麗な肌。白くて、すべすべの肌。
 肩の辺りまで伸ばした髪。さらさらで、綺麗な黒髪。
 膨らんだ胸。大きすぎず小さすぎず、柔らかそうな胸。
 ちょっと羨ましい。わたしもすみれのような美人になりたかったな。
 触ったらどんな気分だろう。気持ちよさそうな気がする。
 あのおっぱいを思う存分もんでみたら、どんな気分だろう。
 ……ああうん、やっぱり最近のわたしは、おかしい。
 親友を、そんな目で見るなんて、どうかしている。

 自己嫌悪に陥りながらも、そんな妄想を止める事ができなかった。
 やがて妄想は、すみれに押し倒されるシチュエーションに変わっていた。
 二人っきりの家の中で、すみれが突然わたしの唇を奪う。
 それに驚いているうちに、わたしは押し倒される。
 手際よく服を脱がされ丸裸になったわたしは、すみれにその身を委ねていた。
 自然と、手が動いていた。
 妄想のすみれが胸を揉むのに合わせて、自分の胸を揉む。
 アソコを弄られる事を妄想したら、それに倣って自分の指を動かす。
 まるで妄想に操られるかのように、わたしは自慰に耽っていた。

 ……本当に、わたしはどうしちゃったんだろう。
 自慰行為自体は初めてではないけど、すみれを対象にしたのは初めてだ。
 なんで、こんな事をしているんだろう。

 わたしは、大事な親友をそんな目で見ているというのだろうか。
 ……最低だ。

 そんな自己嫌悪とは裏腹に、この行為を止める事が出来なかった。
 火照る身体、そして昂る感情に流されるまま、快楽に身を任せていた。

 ………
 ……
 …


 何度イッたか、自分でも覚えていない。
 ただ今まで自分でシた中で一番気持ちよく、一番多くイッたことはわかる。
 ……最中にすみれが帰ってこなかったのは不幸中の幸いだろう。
 こんな所を見られたら、見捨てられてしまうかもしれない。そうなってしまえば、わたしは本当に独りぼっちだ。
 そんなの、嫌だ。耐えられない。

 すみれに依存している自分が嫌になりながら、わたしは後始末を始めた。
 すみれに気付かれないように、そう願いながら。

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「……やっぱり、厳重だなぁ」
 双眼鏡を覗きながら呟く。
 今あたしが見ているのは、としあきの家。
 ジョージに次のターゲットの情報を依頼したのだが、なかなか集まりにくいらしく時間がかかると言われた。
 となると、しばらくは暇である。だから、あたしなりに動いてみる事にした。
 とはいえ、あまり目立つことをしてしまうと警戒されてしまう。できる事といえば、この様に遠くから偵察する事くらいだ。

 としあきの家はいわゆる豪邸というやつだ。
 まず目に付くのは広大な庭園。屋敷の周囲を取り囲むように色とりどりの花が咲き乱れ、あちこちに趣味の悪い石像が置かれていた。
 背の高い木などは見当たらず、もし忍び込んだとしても屋敷から丸見えで、すぐ見つかってしまうだろう。
 加えて庭を巡回するガードマンが数人。ドーベルマンも放し飼いされている。
 入り口も自動で開閉(監視カメラ付き)。怪しい人間が通っただけで通報されてしまうかもしれない。
 外からはわからない仕掛けもありそうだ。石像もかなり怪しい。
 ……この家は、一体何を警戒しているんだろう。
 いくら一企業のトップが住むとはいえ、厳重すぎやしないだろうか。
 巷で流れる黒い噂も、あながち間違いではないのかもしれない。
 わかばの魔法でも屋敷の中まで辿り着けるかどうかはここでは判断できない。
 テレポートや透明化できれば確実なのだが、わかばはそれが出来ないという。
 テレポートは座標がズレて壁の中にワープする可能性があるから駄目だそうだ。……どこかで聞いたことあるぞ、それ。
 透明化は変身能力を応用すれば出来そうな気がするんだけど、色々と複雑な要素が絡むため難度が高く、失敗すると存在自体が消えかねないので使えないらしい。
 別の方法を考えないと、駄目か。
 その時、庭に一人メイドがいることに気付いた。
 小柄だが胸は大きく、可愛らしい顔立ちだった。
 でもふたばの方が可愛い。どちらかと付き合うなら、あたしは間違いなく双葉を選ぶ。
 ああでも胸はあのメイドの方が大きいな……。あたしよりもでかいのは腹立つなぁ。
 ……ってそんな事はどうでもいい。そもそも付き合うってなんだ。
 これもきよひこお兄さんの感情なのだろうか。
 だとすればあの人は実の妹相手に何を考えていたんだ。先輩の立場がないじゃないか。
 そんな事を考えていたせいか、気付けばメイドを見失っていた。
 慌てて周囲を見回すと、いた。屋敷の敷地の外に。
 ……一体、どこから出たのだろうか。
 もしかしたら、あの辺りに使用人用の通用口でもあるのかもしれない。
 あたしの現在地からは確認できないので断定は出来ないけど、そうならば手間が一つ省けそうだ。

 ……さて、そろそろ帰らないとふたばが心配するかな。
 あたしは偵察を切りあげ、ふたばの家に帰ることにした。
 途中でふと晩御飯の買い物をしていないことに気付いて商店街へと進路を変える。
 その時、あたしはちょうど通りかかった女の子とぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい。大丈夫?」
「は、はい。こちらこそすいませんでした!」
 そう言いながら、女の子は走り去った。
 ……急いでいるのかな。
 まあ、あたしも少し急いだ方がいいかも。
 お腹をすかせたふたばが、家で泣いているかもしれないし。

 この時ぶつかった女の子が、後々復讐に関わってくるなど考えもせず、あたしは商店街へと向かった。

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 すみれの日記 10月 3日 くもり

 買い物から帰ると、ふたばの様子がおかしかった。
 目が合うと顔を真っ赤にして逸らしていた。
 いつもソファーに座っていると何も言わずすぐ横に座ってドキドキさせるのに、今日に限って微妙に間隔をあけて座っていた。

 ……まさかあたしがふたばに欲情しているのがばれた!?
 いや、そんなはずは……でも……

(以下10行ほどなんと書いてあるか判別不能)

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「としあきさん、そろそろ誰か新しい女ヤりません?」
「そうだな……そろそろいいか」
「誰にしますか?」
「ああ、ちょうどいいのがいるぜ」
「誰です?」
「前に犯したふたばって女いただろ?」
「ああ、あの喋らない女ですね。あれはあまり面白くなかったっすね」
「喘ぎもしねえ、悲鳴もあげねえときたもんだ。ダッチワイフと変わんねえよあんなの」
「頼まれたこととはいえ、ああいう女を無理矢理、ってのは心苦しいもんがありましたしねぇ」
「よく言うよ。一番ノリノリでヤってたのはお前じゃねえか」
「……で、そいつがどうしたんで?」
「この間あいつの兄貴が家に乗り込んできてな。色々騒いでんだよ」
「そりゃ初耳ですぜ」
「まあこっちで処理したけどな。で、俺はそれに腹が立っている」
「じゃあまたふたばを?」
「いや、ふたばじゃねえ」
「じゃあ誰です?」
「ふたばのダチで、いつも一緒にいるすみれだ。ああいう気の強い女をヤって従わせるのは面白そうじゃないか」

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「……なにこれ?」
 ジョージが持ってきた情報を見た第一声がそれだった。 
『ねえ、ジョージ?これなに?』
『どうみてもヒデユキの情報だな』
 うん、それは間違いない。間違いないんだけど……。
『あたしはノブオの情報がほしいって伝えたはずだけど?』
 そう、あたしがほしい情報と、送られてきた情報が別の物だったのだ。
『それが……全然情報入らないんだよ、あいつ』
『情報が入らない?』
『ああ……地味すぎて、誰も覚えてないんだよ』
『やな理由だ』
 ……あいつ、そこまで存在感なかったのか。
『じゃあ、後回しにしよう』
 情報なしでも大丈夫な気もするけど、備えあれば憂いなし。
 どうせどっちにもやるんだから、順番が前後したって構わない。
『相変わらず切り替えが早いねぇすみすみは』
「え?」
『ノブオの情報はなるべく早く集めるよう努力はするから、無茶はするなよ』
 そう言いながらジョージが消える。
 ……今、ジョージはなんて言った?
 その呼び方であたしを呼んだのは、過去に一人しかいない。
 そしてその人は――もう、どこにもいない。
 なんでアイツは、その呼び方を知っている?
 ……まあいい。今はそんな事を気にしている場合ではない。次に話す時に問い詰めればいい。
 今はヒデユキへの復讐の方が大事だ。
 ジョージの持ってきた情報を確認することにした。

 ヒデユキは母と妹の3人暮らし。
 病気がちな母に代わり家庭を支えるため、毎日様々なバイトを行っている。
 周りからは家族想いの立派な青年であると評判であるらしい。
 また学校でも、成績優秀な優等生で通っていた。

 ただし、それはあくまで表向きの話である。
 日々バイト三昧の毎日。遊んでいる暇などほとんどない。
 そんな生活ではストレスも溜まる事だろうが、そんな様子はほとんど見られない。
 ならばそのストレスはどこで発散されているのか。
 その答えの一つは、としあきだ。
 ヒデユキはレイプを実行する際の計画を立て、としあき達がターゲットを拉致、監禁していたようだ。
 そしてレイプ自体にはヒデユキも参加している。当然、ふたばの時もだ。
 ヒデユキがレイプを行った確証はこの間までなかったのだが、今はそれを照明する証拠もある。
 だからこれがヒデユキにとってストレス解消法の一つであった事は間違いない。
 だけど、これには一つ問題があった。
 ヒデユキ自身がバイトで忙しく、としあき達と予定が合わない事が多いのだ。
 ヒデユキは計画だけ立てて、おいしい想いをする事なく終わる事も何度かあったらしい。
 そういう時、ヒデユキはどうしていたのか。
 残念ながらそれは情報の中に含まれていなかったが、いくつかの情報から大体の予測は出来る。
 あくまで想像にすぎないのだが、なんとなく、それが正しい気がした。
 その答えこそ、今回の復讐の鍵となるものだ。
 ただしその鍵を使うためには一つ確認しなくてはならない事がある。
 その答え次第では、別の手段を講じなくてはならない。
 さて、どうしようか。

 その時、コンコンと扉がノックされた。
 あたしはパソコンの電源を落とし、「どうぞ」と扉に向かい声を掛けた。
 入ってきたのはやはりふたばだった。
 手にはお盆を持っていて、その上にはコーヒーカップが2つ置かれていた。
 コーヒー、飲む?と唇だけ動かして聞いてくる。
「うん、ありがとう」
 あたしはパソコンの置かれた机から離れ、ベッドへと腰掛ける。
 その隣にふたばがちょこんと座り、あたしにカップを手渡す。
 一口飲む。ちょっと熱かった。
「……それにしても、本当にいいの?こんないい部屋使わせてもらって」
 今あたしが使わせてもらっている部屋は、ふたばのお父さんが生前書斎として使っていた場所だ。
 もっとも、当時置かれていた本はきよひこお兄さんが大部分を処分していて、残っているのはほとんど空の本棚だけだった。
 そこにベッドを持ち込み、ネット回線を引っ張ってあたしの部屋にすることとなったのだ。
 どうせ使ってなくて勿体無いし、ここなら何かあったらすぐすみれを呼べるから、とふたばが笑う。
 確かに隣はふたばの部屋だから、壁を叩くなりすればすぐ行ってあげられる。
「まあ、お互い楽だと思うけどね」
 うっかりオナニーとかして声が聞こえちゃったりしないように気をつけよう。
 すぐ隣だから、間違いなく聞こえてしまうからね。
 しばらく話をする。
「へえ、仕事見つかったんだ」
 うん、兄さんの仕事先の人からの紹介で。まずは簡単な仕事からだけど。
「まあ早く慣れないとね」
 そうだね。兄さんも最初のうちは苦労していたみたいだし。
「がんばってね」
 うん、ありがとう、すみれ。
 嬉しそうに唇を動かすふたば。
 こんなにたくさん話そうとするふたばは久しぶりだ。いい傾向である。
 仕事をくれた会社の人、本当にありがとう。
 ……あたしもなにか仕事探すか。学校辞めちゃってるし。このままじゃ、ただのニートじゃないか。
 まあ、それはさておき。
「……散歩、行こうか?」
 ふたばは笑顔で頷いた。

 こうして二人でわかばの散歩するのもすっかり日課になっている。
 最初は面倒だったけど、こういう時間も中々いいものだ。
 なにより、この時間は復讐のことを忘れていられる。ずっと復讐する事ばかり考えていたら気が滅入るしね。
 ふたばは楽しそうに、わかばの首輪から伸びているリードを引っ張っている。
 ……そういえば、わかばは首輪を付けられた上に紐で繋がれている現状をどう思っているんだろうか。
 あたしだったら……犬を選んだ自分を後悔すると思う。
『いえ、これはこれで中々気持ちいいですよ。特にこの首を締め付けられる感触とか……』
 清々しい気分を一気に台無しにしてくれやがりましたよこの犬!
 ただの変態じゃないか。というかそんな感想いらない。
『え?だってどんな気分かって……』
 考えていただけで別に聞いてないから。
 というか人の思考を読むんじゃない。

 わかばと(無言で)そのようなやり取りをしていると、ふたばが袖を強く引っ張ってきた。
「ふたば、どうした?」
 ふたばは慌てた様子である場所を指差した。
 そこにあるのはごく普通の橋。その橋の欄干に、その女の子はいた。
「母ちゃん……先立つ不幸をお許しください……」
 靴を揃えて脱いで、欄干にゆっくりと乗り上げようとしていた。
「ちょっと待てぇぇぇぇ!!!!!」
 あたしは全力で彼女を止めた。
「離して、離してください!もう生きていたくないんです死にたいんです!」
「駄目!死んだって何にもならないって!!」
「生きてたって何もないんです!」
「何もなくても生きなきゃ駄目!」
 自分でも何を言っているかわからないが、とにかくこちらも必死だ。
 目の前で人が死のうとするのを放っておけるわけがないじゃないか。
 とにかく必死で彼女の身体を抱きしめ落ちないように踏ん張るが、彼女も抵抗するので中々大変だ。
 加えてきよひこお兄さんの心が、この非常時にも関わらず彼女の身体の柔らかさに興奮している。
 くそ、やっぱり男って最低だ!
 揉みあううちに彼女の足がすべる。
「「あっ」」
 彼女の身体が橋の下へと落ちる――あたしの身体を伴って。
「「うわぁぁぁぁぁ!!!」」
 ちょ、こんなオチありか!?
 まだあたし死にたくないぞおい!
 が、あたしの足が何かに掴まれ、落下が防がれた。
 足の方を見ると、ふたばがあたしの足を必死で持ち上げていた。
『ふたばさんとすみれさんの力を増強しました!だけど、そんなに持たないので急いで上がってください!』
 わかばの声が頭に響く。
 ……そんな事言われても……どうしろと?

 結局、試行錯誤の末、20分ほどかけてなんとか橋の上に戻れた。
 あたし達3人は抱き合ってお互いの無事を喜んだ。
 ……そう、3人。
 死のうとしていた彼女も、喜んでいたのだ。

 ………
 ……
 …

「ご迷惑をおかけ致しました」
 女の子は頭を下げる。
 あたし達はふたばの家へと帰っていた。
 あの後、騒ぎを聞きつけ人がたくさん集まってきたので、大急ぎで逃げることになった。
 そのままいたら、ふたばを落ち着かせるのが大変だっただろうし。
 そのふたばは疲れて眠っている。珍しく激しい運動したから仕方がないだろう。
 というわけで、現在居間にいるのはあたしと女の子、そしてあたしの足元で大人しくしているわかばの3人。
 女の子の姿を改めて確認する。
 年齢はあたしより下。髪は短く、眼鏡をかけていて、ボーイッシュな格好をしていた。
 胸の微かな膨らみがなければ、男の子と間違えられると思う。
 全体的に活発そうな雰囲気を纏っていて、 自殺とは縁遠く見える。まあ、そういう事は見た目では判断できないけどね。
 ……どこかで見覚えがある。それも最近。
 ああ、そうだ、この前ぶつかった女の子だ。
 でもそれ以外にも心当たりがあるんだけど……なんだっけ?
「あなたの名前は?」
「ボクは……コマチって言います」
 コマチ……ああ、思い出した。さっき、ジョージのくれた資料の中にあった写真に、この娘が写っていた。
「もしかして、ヒデユキの妹の?」
「……兄の知り合いですか?」
 露骨に嫌そうな顔をする。情報通り兄の事は嫌いなようだ。
「知り合いといえばそうかも。ただし、決して好意的な関係ではないけど」
「……本当ですか?」
「ええ。むしろ嫌い。見るのも嫌。……まあ、あなたには別に罪はないから気にしないでね」
 どちらかといえば殺したいほど憎んでいる相手、とはあえて言わないでおく。
「いや、気になりますから!一気に不安になりましたから!」
 ですよねー。
 世間的には好青年で通っている兄を嫌う人間が目の前にいるんじゃあ、その妹としては不安でたまらないだろう。
 もっとも、今の所はコマチに危害を与える気はないんだけど。
 それにしても、なんという幸運だろうか。次の復讐に必要なキーパーソンと、こんな簡単に出会えるなんて。
「ところで、どうして自殺しようとしていたの?」
 こういう状況なら誰でも聞くであろう、一般的な質問をしてみる。
「………」
 ……まあ、言いにくいだろうね。
 わかばの魔法で無理矢理聞き出してもいいんだけど……できれば本人の意思を尊重したい。
 コマチはしばらく無言だった。
 あたしの顔を見つめ、すぐ俯き、またあたしの顔を見て……あたしを信用できるか見定めるように何十回もその行為を繰り返していた。
 この娘を助けてあげたい。そんな思いもわずかに抱きながら、あたしはコマチを真っ直ぐ見据えた。

 やがて、コマチは重い口を開いた。
「その、信じてもらえないかもだけど……」

 そこで語られた内容はあたしの想像通り、否、それ以上の物だった。
 簡単に言えば、それは兄からの虐待。優等生という仮面を被る重圧の殆どは、妹に対して発散されていたのだ。
 些細な事を理由に暴力を振るわれ、ちょっとしたミスを罵られ、時には跡が残るほど縛り付けられる事もあった。
 まあ、ここまでは予想の範囲内。だけどヒデユキの行為はそれだけに留まらず、だんだんエスカレートしていった。
 堂々とお尻に触れたり、いきなり胸を揉んだり、入浴しているところを隠し撮りされたりと、性的な虐待まで行われるようになった。
 そしてついに先日、寝ている所を襲われ、訳もわからぬまま犯されそうになったところを逃げ出したらしい。
 そのまま一晩逃げ回ったコマチは、疲れ果てていた。
 自分は、何の為に生きているのだろうか。兄のストレス解消のために生まれてきたのだろうか。
 そんなのは、嫌だ。これからもそんな生活をするくらいだったら、死んだ方がマシだ。
 そう考えて自殺しようとしていた所に、ちょうどあたし達が通りかかったのだ。
 最初のうちはゆっくりとした語り口だったコマチだが、だんだん口調が激しくなっていき、最後には泣き出してしまった。
 溜め込んでいた感情が一気に爆発したのだろう。
 あたしは、ただ黙ってコマチを抱きしめていた。
 恐らく彼女は、このことを誰にも相談できなかったのだろう。
 相談しても、誰も信じてくれないから。

 いつのまにか、コマチはウトウトしていた。疲れが溜まっていたのだろう。
 あたしはコマチを自分の部屋のベッドへと運んだ。ソファーで眠っていてもらうわけにも行くまい。
「……さて、どうしようかな」
「どうするって、何がです?」
 後ろからついてきたわかばが聞いてくる。
「予定では、ヒデユキの復讐にこの娘を利用するつもりだったんだけど……」
「やめるんですか?」
「うん。なんかヒデユキに会わせるのが可哀想になった」
「甘いですねぇ」
「……かもね」
 復讐に徹しようと考えている割に、やっていることが温いという自覚はある。
 なんでも利用するつもりで始めたのだから、コマチだって気にせず利用すればいいのだ。
 でも、そういう気分にはなれなかった。
「まあ、そこがすみれさんのいい所ですよ、多分」
 いや、よくはないと思う。自分の言った事すら出来ていないんだもん。
「じゃあ、コマチさんの分も私達が復讐してあげましょう」
「ああ、そうだね」
 あたしに出来る事など、それくらいしかない。

 まあ、本人の意思で参加するつもりなら歓迎するけどね。

 ………
 ……
 …

 その後、目を覚ましたふたばと話し合い(コマチの境遇は適当にごまかしておいた)、コマチをしばらくここで預かる事にした。
 コマチは遠慮しようとしたが、強引に納得させた。
 帰らせるわけにはいかないし、放っておけばまた自殺しようとするかもしれないしね。

 そして、ふたばが眠った頃、あたしとわかばはヒデユキの家へと向かっていた。
 わかばは人間の姿になっている。外見はこの間の魔法少女(どうやらこれがわかばの本来の姿らしい)だが、服装は地味なワンピースである。
 さすがにあの格好は目立つと自覚してくれたらしいが、闇夜にも映える赤い髪は変わっていないためあまり意味はない気もする。
 まあ今日に限って言えば、この赤い髪が目印になってくれるだろうけどね。
 あたしはといえば、いつも通り地味目の服を選んでいる。いつもと違って鞄を一つ持っているけど、目立つほど大きなものではない。
「で、具体的にどんな事をするんです?」
「そうだね……ヒデユキって、『自分が男である事』に誇りを持ってるみたいなんだよね」
 ジョージの情報やコマチの話を総合すると、『男である自分は、女に対して何をしてもいい』と考えているようだ。
 もっとも、頭が良いのでそれを普段の態度にだすことはない。その一面を見せるのは、レイプの相手とコマチに対してだけだ。
 なお、このヒデユキの考え方は実はとしあきとも違っているという。
 としあきの持論は『無理矢理女を犯すのが好き』『女だって犯されれば悦ぶんだから構わない』というものらしい。
 どちらも他者を自分の理屈で虐げていることには違いない。
 だが、としあきはあくまで『自己の快楽』を求めているだけだ。それに対しヒデユキは『男である自分が、女である相手より優れている』のを見せ付けたいのだ。
 どちらにしても人間性は最悪だけど。
「……って専門家の人が言ってた」
「誰ですかそれ」
「トカゲの知り合い」
 その専門家の意見が正しいのかどうかは知らないんだけどね。
 どちらにせよ、ヒデユキが女を見下しているのは確かなようだ。
「まあそんな訳だから、ヒデユキには女の子になってもらおうかと」
「またですか」
 ……うん、そう、またなんだ。
 二度あることは三度あるというけど、いつの間にか復讐を始めたときには考えもしなかった事態になっている。
「もういっそ、みんな女の子にしちゃおうか」
「ああ、それもいいですね」
 そんな事を話していると、あたし達はヒデユキの家に着いた。
「もう着いちゃいましたね。まだどうするか決まってないのに……」
「まあ、後は流れで決めよう。あいつの態度次第でやりたいことが変わるかもしれないし」
「そうですね。どうせ前の二回も行き当たりばったりでしたしね」
 ……その通りだけど、はっきり言わないでよそういう事。


 家の中に侵入する。
 タカアキの時と違い、隠し部屋にいるという事はないだろう。というか普通の家にはそんなものない。
「自分の部屋ですかねぇ」
「まあ夜中だし、寝ているかもね」
 今日、深夜のバイトを入れていない事は確認済みだ。
 だから多分家にいるはずだと思うんだけど……。
 その時、近くにあった扉から水の流れる音が聞こえた。どうやらトイレのようだ。
 そしてそこからヒデユキが出てきた。
 バッチリ目が合った。
「き、君達!人の家に勝手にあがりこ」
 全てを言い終わる前に、わかばがヒデユキを後ろから殴って気絶させた。
「……結果オーライですね」
「……まあね」
 もっとスマートにやりたかったけどね。
 こうなっては仕方がないので、とりあえずヒデユキを持ってきたロープで縛る。
 動けないのを確認してから、ヒデユキを起こす。
「目、覚めた?」
 ヒデユキは周囲を見回し、自分の状況を確認する。
「えっと……なんでもするんで、解放していただけませんか?お金でも物でも差し上げますので……」
 どうやら強盗だと判断したらしい。下手に出て、命だけは助かろうという算段か。
 もっとも、そんなものはいらないし、そもそも目的は強盗でもない。
「じゃあ、命を差し出してくれる?」
「そ、それはちょっと……」
「じゃあ、死んで?」
「どっちも同じじゃないですか!」
 その時再びヒデユキと目が合った。
 ヒデユキは驚いたような表情を浮かべ、そして考え込むように俯く。
 どうやら、あたしの事を思い出したらしい。
 しばらくしてあたしに顔を向けたヒデユキの表情は、笑顔だった。
「や、やあすみれさん」
「どうも。やっと気付いたの。案外記憶力ないね」
 少し顔を引きつらせながらも、ヒデユキは話を続けようとする。
「そんなことよりなんでこんなことするのさ?僕、君を怒らせるような事したかい?」
「してないとは言わせない。あたしが怒る理由、わかっているでしょう?」
「ふ、ふたばちゃんの事?」
 ……しらばっくれればいいのに。まあどっちにしても関係ないけど。
「あ、あの事なら本当に悪かった。としあきに唆されたからとはいえ、ふたばちゃんには酷い事をした」
「本当に、そう思ってる?」
「ああ、謝って許されるものではないってわかってる。でも、できれば罪を償いたいとは考えていたんだ」
 もしかして、としあきに責任を押し付けて、自分は最低限の謝罪で事を済まそうということなのだろうか。
 ……いや、待て。この男がそんな単純に罪を認めるわけがない。何か企んでいるに違いない。
「謝ったくらいで、ふたばにした事が許されると思っているの?」
「思ってはいないさ。僕が彼女を襲う計画を立てたのは間違いないからね」
「計画を?」
「もちろんとしあき達が本当にそれを実行するなんて思ってもいなかったんだ。信じてくれ!」
「じゃあ、あなたはふたばをレイプしていないのね?」
「当然じゃないか!僕はみんなを止めようとしたんだよ!頼むから信じてくれ!」
 真剣な表情でヒデユキはあたしに訴える。
 その『演技』は巧みで、その言葉を信じさせるには十分な威力を持っていた。

 ただし、それは「あたしが真相を知らなければ」の話である。
 あたしは鞄からある物を取り出し、ヒデユキの前に突きつける。
「こ、これは……?」
「タカアキの地下室にあった、といえばわかると思うけど?」
 ヒデユキの顔色が青ざめていく。それが何か理解したようだが、もう遅い。
「ああ見えてタカアキって几帳面だった見たいね。自分が場を貸しただけのレイプの記録も克明に残してくれてたわ」
「………」
「もちろん、あなたが参加していた証拠もバッチリ。写真撮られてたの気付かなかった?」
 そう、タカアキの地下室に残されていた、ふたばをレイプした時の資料である。
 ご丁寧にもレイプの時の画像付き。そこにはふたばに覆いかぶさっているヒデユキの姿がバッチリ写っていた。
「さあ、反論はある?」
「………」
 ヒデユキの返事はない。
「その沈黙は肯定として受け取らせてもらうわ、嘘吐き優等生君?」
 あたしはヒデユキの顔を蹴り上げた。
「……てめえっ!何しやがる!女の癖に生意気だぞ!」
 なるほど、これが本性か。
「ふざけんなよ!女は黙って男に従ってりゃいいんだ!ヤられてりゃあいいんだ!身の程をわきまえろ!
 お前のやろうとしていることはただの逆恨みだ!第一当事者でもねえお前がなんでこんなことするんだ!」
 ……どういう理屈で逆恨みになるんだろう。訳がわからない。
「あ、わかった!やっぱりお前達デキてたんだな!」
「はぁ?」
「そうだよな、お前ら友達にしちゃ仲よすぎるしな!このレズ女!
 お前の恋人に正しい『男女のあり方』を教えてやったんだからむしろ感謝しやがれ!」
 ……馬鹿らしい。
 今現在ならともかく、こいつが知っているあたし達は、ふたばが襲われたときの頃。
 その当時のあたし達はごく普通の友人でしかなく、恋心などもってはいなかった。
 そりゃ、他の友人達に比べれば仲は良かったし、周りからはよく「もうお前ら付き合っちゃえば?」みたいな冗談を言われることもあった。
 だけどそれはふたばが色恋沙汰に興味がなく、大体あたしと遊んでばかりいたから周りから浮いて見えただけだと思う。
 世の中にはただ恋愛に興味がなく、友人と過ごす時間が多いだけで同性愛者扱いする奴がたまにいるが、こいつもそういうタイプなのだろう。
 ……まあ、今ふたばに欲情している事実があるからレズ女っていうのは否定はしないけどね。厳密には違うんだけど。
 そもそも否定してもこいつは信じないだろうし、そんな問答で時間をつぶすのは勿体無い。
 でもちょっとムカついたので、三回ほど顔を蹴っておいた。口の辺りを重点的に。あとついでに10回くらい踏みつけておいた。
「恋愛を生産性で語るのはどうかと思いますよ?」
 わかばが馬鹿にするように言った。
「この主張って、そもそも『セックスする時は常にゴムなしで、子供作ることを前提にしている』人でない限りは成り立たないんだけどね」
 子作りしないんだったら、別に同性とのセックスでも大して変わらないだろう。生産性を理由としたいならね。
 はっきりと気持ち悪い、理解できないと言えばいいんだ。その方がまだ清清しい。
 というかどうせ分かり合えないのだから、関わらない方がいい。同性愛は結局、当事者同士の問題でしかないのだから、第三者がどうこう言うことではない。
 もっとも、今のあたしがそれ言っても説得力ないと思うけどね。
 ……今はそんなことを考えている場合ではない。復讐の事だ。
「そんな事よりわかば。この男は女を見下していて、腹が立たない?」
 男女平等を謳うつもりはないけど、こう言われて黙っているのも癪だからね。
「そうですね。女としては許せませんね」
「いっそこいつを女にして、女というものを理解させた方がいいと思うんだけど、どう思う?」
「ああ、それいいですね。女を体験すれば、多少は考えも変わるでしょう」
「お前ら馬鹿か?そんなこと出来るわけないだろ!」
 まあ、普通は確かに出来ない。だけど、わかばには出来る。
「前の二人も、そう思っていたでしょうねぇ」
 わかばの言葉の意味をヒデユキは理解できただろうか。
 まあ、理解してもしなくても変わらないけどね。どっちにせよ、こいつが女になることには変わりないのだから。
 わかばはヒデユキに手をかざし、変化の魔法を放つ。
 ヒデユキの姿が変わっていく。
 身体は一回り小さくなり、髪が肩の辺りまで伸びる。
 顔付きが柔らかくなり、胸が微かに膨らむ。
 腰がやや細くなり、お尻から太ももにかけてほっそりとした感じになる。
「……ねえ、わかば。なんか、スタイルが悪くない?」
 少なくとも、マサヒコの方が発育が良かった気がする。
「今回はコマチさんの復讐も兼ねているので、あえてコマチさんより発育を悪くしています」
「ああ、なるほど」
 女より男が優れていると思っているヒデユキにとって、妹より何かが劣っているというのは屈辱的であろう。
 それが例え、女性としての自分の魅力であったとしても。
 もっとも、女の魅力は外見だけではないけどね。胸が小さい女性が好きな人もいるしね。
 ヒデユキの変化は続いていく。
 そしてついに喉と股間の膨らみも消え、ヒデユキが男であったことを外見で判断することは出来なくなった。
 今あたし達の目の前にいるのは、ぶかぶかの服を着た一人の女。
 身体が小さくなったことでロープが緩み、ヒデユキは自由に動けるようになっていた。
 ヒデユキは身体中を手で弄り、自分の変化を確認する。
「お、女になってる……」
 その声は、女性特有の高いものになっていた。
「てめえ!!」
 ヒデユキは立ち上がり、あたしに殴りかかる。あたしはその腕を掴み、足を払って転ばせた。
 そしてそのまま押さえつける。とはいえ上からのしかかるだけだが、それで十分。
「おお、ジュードーってやつですか?」
 違います。そんな技術、こいつに使うのは勿体無い。
「ほら、女の子が暴力振るっちゃぁ、駄目じゃない」
 散々見下してきた女になっている事実を実感させるように、ヒデユキの耳元で言ってやる。
 あたしの身体をどかそうと暴れるが、それはたいした意味を成さない。
「随分とか弱くなっちゃったじゃない。あたしは乗っかっているだけなのよ?男だったら、軽く退かせるでしょうねぇ」
「く、くそ!な、なんでこんなに力がないんだよぅ!」
 まあ、女の子だからじゃない?仮に男のままでも、負けるとは思わないけど。
「あははは!悔しい?悔しいでしょう?悔しいって言え!」
「だ、誰がそんなこと……!」
「言わないの?まあ、別にいいわ。あなた達が襲った女の子達の屈辱はそんなものじゃないからねぇ」
 あたしはヒデユキを見据えたまま、『彼女』を呼んだ。

「ねえ、コマチ?ついてきているのはわかっているから、出てきなさい」

 後ろから物音がした。
「え?」
 わかばが驚いた表情を浮かべる。気付いていなかったのか、こいつは。
「……いつから、気付いていました?」
 コマチが静かに尋ねてくる。
「ついてきているのは、家から出てすぐ。目立つのが隣にいたからわかりやすかったでしょう?」
 わかばの髪を指差す。
「すみれお姉さん……これは、どういう状況なんですか?」
「見ての通りだよ。あたしはこいつに恨みがあって、その復讐の為に女の子にした……もっと近くで見ていいわよ?」
 コマチはあたしのすぐ隣まで歩いてくる。
「た、助けてくれ、コマチ!」
 もはや形振り構っていられないのだろう、ヒデユキはコマチに助けを求めた。
「………」
 コマチは何も答えない。ただ、黙って女となった自分の兄を見つめている。
「な、なにをしているんだよ!早く俺を助けろ!な、兄妹だろ?こんな時くらい役に立てよ!」
 どこまで傲慢なのだろうか。妹なら自分の思い通りになると、まだ思っているのだろうか?
「すみれお姉さん……昼の話、覚えています?」
「ええ、もちろん」
「ボクは兄を……お兄ちゃんを助けるべきですか?」
「さあ?あなたが助けたいなら、助ければ?そうするならあたし達は手を引くわよ、あなたに免じてね」
 もちろん手を引くつもりなどない。
 だって、当然じゃない?コマチがヒデユキを助けたいと思うなんて、ありえないから。
「寝ている時、微かに聞いていたんですけど……これ、ボクの復讐も入っているんですよね?」
「ええ、もちろん」
 あの時コマチはまだ完全に眠っていなかった。その側でわかばと会話していたのだから、聞こえていても不思議ではない。
「だから、ヒデユキに何をしても止めない。望むのなら、何をしてもいいよ。わかばのできる範囲でね。
 強制はしない。あなたが選びなさい。ただ見ているのか、復讐するのか、止めるのか。どうする?」
「ボクは……」
 コマチは、ヒデユキを見つめながら言った。

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 ボク――コマチは、お兄ちゃんに虐げられていた。

 昔はまだよかった。
 父ちゃんは厳しい人だったけど、暴力は振るわないし、とても家族思いの人だった。
 お兄ちゃんも優しかったし、母ちゃんも身体は弱かったけど、それでも元気だった。なにもかも、幸せだったんだ。
 父ちゃんが事故で死んじゃってから、何かが壊れだした。
 母ちゃんはそのショックからか寝込むことが多くなり、自然とお兄ちゃんは働かざるを得なかった。
 ボクはまだ子供だったからバイトも出来なかったけど、家事くらいは頑張ろうと一生懸命やっていた。
 最初のうちはまだうまくいっていた。
 でも家族三人を養い、学費や母ちゃんの病院代まで稼ぐのは大変なことだった。
 だんだんと生活は苦しくなっていく。
 それでもお兄ちゃんは頑張っていた。でも、多分限界だったんだと思う。
 だからとしあきなんていう悪い友達ができちゃって、それからお兄ちゃんは変わってしまったんだ。

 としあきという人と出会ってからのお兄ちゃんは、まるで別人だった。
 家の外でのお兄ちゃんは、成績優秀で人当たりや容姿もいいため、周りの人からとても信頼されていた。
 加えて病弱な母ちゃんを支えるために寝る間を惜しんでバイトをしているので、親孝行な青年だと思われていたことだろう。

 だけど、それはあくまで家の外だけでのことだ。
 家の中でのお兄ちゃんは、暴君だった。
 ボクや母ちゃんを罵り、暴力を振るう。
「ババア、てめえのせいで俺には自由がないんだ!少しは感謝しやがれ!」
「コマチ、お前、何勉強してんだ?お前は勉強なんてしないで女磨いてとしあき誘惑してりゃいいんだよ!」
 この程度の罵倒は序の口で、もっと酷いことを言われたこともある。思い出したくもない。

 やがてその心労が祟ったのか母ちゃんが倒れてしまい、田舎で療養することになった。
 ボクも一緒に行く予定だったけど、お兄ちゃんはそれを許さなかった。
 今まで母ちゃんと二人で受けていた暴力が、全てボクに降りかかってきた。
 周囲にばれないよう、痣や傷が残らない程度に加減はしていたみたいだけど、痛いことは違いない。
 そしてだんだんと胸やお尻を触るといった、セクハラ紛いの行為へと発展していったんだ。
 田舎のおじいちゃん達が助けに来てくれたこともあったけど、お兄ちゃんに追い返された。
 法的手段はとしあきに抑えられていたし、ボクが誰かに相談しても信じてくれなかった。
 もう、ボクの味方なんて誰もいなかった。

 辛い日常の中で、ボクが思うことがあった。
 それは、もしボクが男の子だったらという事。
 お兄ちゃんはボクが女の子だから、それが気に入らないんだ。男の子だったら、もっと優しくしてくれるんじゃないか。
 そんな妄想ばかりしていた。
 そのせいか、ボクは男の子のような格好を好むようになり、周囲からも男の子のようだと思われるようになっていた。
 それが気に食わないお兄ちゃんにさらに暴力を振るわれたけど、ボクはそれをやめなかった。
 女の子でいたら、虐められるから。
 男は暴力を振るうから嫌いだけど、男の子にならないともっと酷い目にあうから。
 もう、この頃にはボクも相当歪んでいたのだと思う。
 男の子の格好をした、男嫌いの女の子。それがボクだ。

 だけど現実は優しくない。
 お兄ちゃんにとっては、ボクが男の子の格好をしようと、女でしかない。
 それを証明するかのように、ついにあの日、ボクはお兄ちゃんに強姦されそうになった。
 必死に暴れて、逃げ出せたのは奇跡だと思う。

 一晩どう過ごしていたのか覚えていないけど、いつしか夜は明けて、ボクは橋の上にいた。
 ……もう、生きていてもしょうがない。
 そう思ったボクは橋から飛び降りようとし、そこをすみれお姉さん達に助けられたのだ。

 すみれお姉さんとふたばお姉さんはいい人だった。
 すみれお姉さんはボクの話を信じてくれて、とても優しく接してくれた。ふたばお姉さんの視線が妙に痛かったけど。
 ふたばお姉さんは喋らないけど、一緒にお風呂に入って身体を洗ってくれた。お風呂から出たらすみれお姉さんがちょっと怖い顔してたけど。
 とにかく二人は優しくて、久しぶりにボクは安らぎを感じていた。
 だけど、ボクがここにいたら二人に迷惑がかかる。
 としあきやお兄ちゃんがここを嗅ぎ付けたらどうなってしまうのだろうか……想像するまでもない。
 だからボクはここでお世話になると聞いた時、断ったんだ。だけどすみれお姉さんに押し切られ、とりあえず一晩は様子を見ることになった。
 それはそれで嬉しかったのだけど、気になることがたくさんあった。
 ふたばお姉さんが喋らない事。
 昼間寝る時、すみれお姉さんが誰かと話をしていた事。
 その時、お兄ちゃんに復讐すると言っていた事。
 だからすみれお姉さんが見覚えのない女の人と外に出たとき、こっそりとついて行こうと思った。
 この人達の真意を知るために。

 そして、今に至る。
 ボクの目の前では、女になったお兄ちゃんが、すみれお姉さんに押さえつけられている。
 その様子をわかばと呼ばれた女の人が見ている。
 この人、犬と同じ名前なんだと思った。後で犬本人(というのもおかしいけど)であると聞いたときはとてもびっくりした。
「強制はしない。あなたが選びなさい。ただ見ているのか、復讐するのか、止めるのか。どうする?」
 すみれお姉さんの言葉に、ボクは答える。
「ボクは……」
 そんなの、決まっている。
「お兄ちゃんに、復讐したい」
 これ以上、虐められるのは嫌だから。この機会を逃してなるものか。
「そう、それがあなたの決断ね」
 そう言いながら、すみれお姉さんはとても愉しそうに笑った。
「てめえ!育ててきてやった恩を忘れやがって!ふざけんじゃねえ!」
「ははは、人望のないお兄さんは大変ねぇ。まあ当然か。それだけの事したものね。
 さてコマチ、まずはこのうるさい人を黙らせたいんだけど……あなたなら、どうする?」
 その言葉は、ボクを試しているように感じた。復讐する覚悟を見せろ、と。
 お兄ちゃんを黙らせる……。
 お兄ちゃんは今まで些細なことでボクを怒鳴りつけていた。
 そしていつもお兄ちゃんは最後にこう言うんだ。「女なんてもんは馬鹿なんだから黙って男に従ってりゃいいんだよ」って。
 だったら、こういうのはどうだろうか。
「お兄ちゃんの自慢の知識を、全て奪ってください――世界中の誰よりも、無知な存在にしてください」
 すみれお姉さんは一瞬驚いたような表情を浮かべ、またすぐに笑顔になる。
 そしてお兄ちゃんから離れ立ち上がり、わかばさんのほうを真っ直ぐ見つめる。
「なかなか楽しそうじゃない。わかば、できる?」
「ええ、いけます。特殊術式ですが、余裕です」
 わかばさんもどこか愉しげだった。
 対照的に、お兄ちゃんの表情に恐怖が浮かんだ。
 相手は男を女に変えるような人だから、それくらいできるだろうことはお兄ちゃんの頭ならすぐ理解できたのだろう。
「や、やめろ!やめてくれ!やめてくださいお願いします!」
 そこまで嫌なんだ?まあ、当然だよね。人を散々馬鹿にしてきたのも、その自慢の知識があるからだもんね。
 それを失うというのは、お兄ちゃんにとっては自分を失うに等しいのかもしれない。
『ぁレヽ⊃σちUきをせ〃ω、ζ,〃ぅは〃ッちゃぇ』
 わかばさんは聞き覚えのない呪文を紡ぐ。なんとなく聞き取れそうなんだけど、意味として理解できないような感じがした。
 お兄ちゃんの様子を見ると、頭を抱えて転げまわっていた。
「嫌だ!嫌だ!消える!無くなる!俺がなくなる!いやだ!いやだ!おれ、ばかになっちゃう!」
 その口から放たれる言葉がだんだんたどたどしくなっていく。まるでまだ舌がうまく回らない子供のように。
「いやだ、いやだよぅ!ぼくがぼくでなくなっちゃう!やぁだぁ!あぁうぅ!!○△☆■ぁrぅ〜」
 そしてあっという間に意味のある言葉を発せられなくなる。
 大きく暴れたいた動作も小さくなっていき、最後にはなにもわからない子供のようにぼうっとしていた。
「大人の身体をした赤ちゃんってところかな?」
 すみれお姉さんがその姿を見て呟いた。確かにそんな感じかもしれない。
「お兄ちゃん?」
「………」
 お兄ちゃんボクの声に反応してこっちをみるけど、それだけ。
 ボクはドキッとした。
 虚ろな眼差しを向けるお兄ちゃんだった女の人の表情は、何故かえっちな感じがした。
「どうですか?今のヒデユキって人の頭の中は空っぽです。何も覚えていないし、何も理解していません。
 先程すみれさんは赤ん坊のようだといいましたが、ちょっと違います。彼女には本能すらない。
 人として大切なものも全て忘却の彼方です。泣くことも、笑うことも、怒ることもできませんよ。今のままではね。
 さてここからどうします?新しく何かを教えますか?何も知らない娘を自分色に染めるのも悪くないですよ?
 それともどこかに捨てますか?こんな状態の女性が街中でどんな目に遭うか想像するだけでもワクワクしますね!」
 悪趣味な人だ。
「さて、コマチ。あなたはどうしたい?」
 すみれお姉さんが聞いてくる。
「今回の復讐、譲ってあげるわ。このヒデユキの成れの果てを、あなたの自由に扱いなさい」
「……いいんですか?」
「ええ、あたしよりあなたの方がこいつに恨みがあるでしょう?」
 もう一度お兄ちゃんを見る。
 ただ虚空を見つめている女がそこにいた。
 ボクはこいつをどうしたい?
 自分を虐げてきた男を、どのように滅茶苦茶にしてやりたい?
 答えは、すぐに決まった。
「ボクは、お兄ちゃんを……」

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 辺りには人の吐息と、ぴちゃぴちゃという微かな音だけが響いていた。
 あたし達の前でヒデユキが地に這い蹲り、コマチの足を舐めている。
「どう、お兄ちゃん?妹の足はおいしい?」
「ん……」
 問いかけに答えず、ヒデユキはコマチの足を一心不乱に舐め続けている。
 当然だ。答え方を知らないのだから。
 それに足の舐め方は教えることはできても、味覚を教えるのは困難だ。味の感想なんて、わかるものか。
「答えられないほどおいしいんだぁ……すっかり変態さんになっちゃって……。
 これが外面と頭だけはよかったお兄ちゃんだとは誰も思わないね」
 コマチはそれを理解しつつも、蔑むようにヒデユキを見つめ、言葉で嬲り続けていた。
 もっとも、ヒデユキはコマチの言葉など理解できていないだろうけど。
 今、ヒデユキの中にあるのはコマチへの服従心のみ。
 知識も、記憶も、名誉も、誇りも、願望も、屈辱も、何一つ覚えていないだろう。
 それを理解しつつも、コマチは言葉を止めない。
 無意識に抑圧された怒り。傷ついたことへの報復。そして自分を見下してきた兄を逆に虐げる優越感。
 ありとあらゆる感情が、コマチを突き動かしていた。
「ほら、もっと舐めてよ。足の裏から指の間まで、舐めて舐めて舐め尽しちゃえ。
 それが、お兄ちゃんの仕事だからね。ボクが満足するまで、ずっとずっと舐めてるんだよ?」
 その光景はなかなか倒錯的で、きよひこお兄さんの心が興奮しているのを感じた。少しくらい空気を読んでほしい。

 コマチが望んだことは、ヒデユキの完全な服従。
 ヒデユキはコマチの命令に逆らえず、裏切ることも出来ない。
 コマチに従うことだけが生きがいの、生きた人形でしかないのだ。
『究極のマインドコントロールですからね。知識が全て無くなった事で、赤ん坊と同じ状態になりました。
 だから新しく教えられた事が、彼――彼女って言った方がいいですね。彼女の新しい常識になりますよ』
 わかばの声が頭の中に響いた。
『ところで、いいんですか?見ているだけで』
 問題ないよ、これが今回の復讐の手段だからね。ちょっと予定と違っちゃったけど。
『予定……ですか?』
 あたしの予想では、コマチが自分にやられたことをやり返すのだと思っていた。
 その場合、ヒデユキは自分の妹と立場が逆転するという屈辱を味わうことになっていただろう。
 だけど、コマチが望んだのは事実上の『ヒデユキの死』。
 肉体は別人に成り果て、人格は完全に消え去り、もう二度と元には戻らない。
 もはやこの世界のどこにも、ヒデユキという男は存在しない。ならばそれは、死んでいるのと同じである。
 あたしはコマチを利用し、間接的にヒデユキを殺したのだ。
 だけどあたしには何の感慨も無い。
 もはやヒデユキに興味は無いし、養ってくれる者がいなくなったコマチが、これからどのように生きるかも知ったことではない。
 既にあたしの関心は、次の復讐をどうするかという事に移っていた。

 さあ、覚悟を決めろ。
 誰も彼も巻き込んで、としあきとノブオの全てを壊してしまう覚悟を。

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 すみれの日記 10月 3日 くもり

 コマチを利用して三回目の復讐を終わらせた。
 コマチの今後については……まあ、後で本人と相談しよう。

 さて、残るは二人。
 できれば先にノブオから片をつけたい所だけど……。

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「としあきさん、大変っす」
「どうした、ノブ?」
「ヒデユキさんと連絡がつかないんです」
「なんだって!?くそ、どうなってんだよ!」
「急に3人もいなくなるなんて、おかしいっすよ!」
「……調べてみるか」
「でもどうやって?」
「とりあえずヒデユキの周辺を探るか。あいつ確か妹いたから、そいつが知ってるかもしれねえし」
「なるほど。でも妹さんの行方、わかります?」
「ウチの力を舐めんな、こっちは任せとけ。お前はすみれ犯る準備しとけよ」
「了解っす」




大まかな話は予め決めてありますが、細かい台詞はその場のノリで書いています。
その為、続いていくとすみれの思考が支離滅裂に……。(今にはよくあることです)


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