ある日、ビルの屋上で。
6階建てのビルの屋上。
そこで私がいつものように『仕事』の準備をしていると、屋上の扉が開く音がした。
扉の方を見ると、一人の女の子がいた。
可愛らしい顔をした、スタイルのいい女の子。まったく、羨ましい。その胸私によこせ。
だけど、彼女の表情はその可愛らしさを台無しにするかのように酷かった。
絶望に満ちたような、何かに諦めたような顔。
やがて彼女は、屋上のフェンス越しに下を見下ろしながら呟いた。
「ここから落ちたら、死ねるかなぁ…」
別にこの娘が目の前で自殺しようと私にはどうでもいい話だ。
だけどその日は天気がよかったから、数年に一度あるかないかの気紛れでその娘に声をかけてみようと思った。
「うまく落ちれば死ねるわよ。今の時間は無理だけど」
「…え?」
女の子がこっちを見る。その時初めて、私の存在に気付いたようだ。
だけど見た感じ、あまり驚いているようには見えない。つまらない。
「今の時間、この下は人通りが多いからね。下手にここから飛び降りても、下を歩いてる人がクッションになって死ねないよ」
クッションにされたほうは死んじゃうだろうけど。
「…そうですか」
女の子に落胆の表情が浮かぶ。
「死にたいの?」
「…僕の勝手でしょう、そんなの」
「そうでもないよ。私の目の前で死なれると、気分悪い」
心にもないことを言ってみる。
仮にこの娘が今この場で死のうと、私にはどうでもいい。
ただ、今死なれると『仕事』に影響があるなぁ、としか思っていない。
…いや、もう一つ気になることがあるなぁ。
この娘、なんで死にたいんだろ?
「まあいいや。死にたいなら死んでもいいけど、なんで死にたいの?」
「あなたに言う必要は…」
「今この場で死なれると『仕事』の邪魔なんだよね」
「『仕事』?」
「まあ、清掃業みたいなものだよ」
嘘は言っていない。かなり脚色しているけど。
「まあ遺言代わりだと思えばいい。こっちはただ好奇心で聞きたいだけなんだから、話を聞いてなにかをしようとは思ってないよ」
女の子はしばらく黙り込んでいたが…やがて静かに語りだした。
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そういう病気があることは知っていた。
だけど、まさか自分が感染するなんて思いもしなかった。
急性性転換病。
ある日突然、性別が変わってしまう現代の奇病の一つ。
感染ルートもわからず、治療法もまだ確立されていない。
病気自体は命に関わることはないが、未知の病気であるが故に患者は世間の偏見に晒される事になるという。
僕も先日まではどこにでもいる普通の男子高校生だった。
ごく普通に学校に通い、ごく普通に友達と話し、ごく普通に家族と過ごし、ごく普通に悩み、ごく普通に生きる。
そんな、ありきたりな生活。
だけど性転換病を患ってから、僕を取り巻く環境は一変した。
女になった僕は、それなりに可愛い部類に入ると思う。
胸は大きいし、スタイルも結構いい。
その姿に男の格好は絶対に似合わないので、嫌でも女性の服を身に着けることになった。
外にでれば好奇の目に晒された。
近所の人たち、同じクラスの人たち、教師、別のクラスの人たち―みんなが、僕を見ている気がした。
仲のよかった友人達と話をしているときも、明らかに胸に視線が集まっていた。
時には『触らせろ』と要求されたこともあった。
誰かに相談しても「自意識過剰なだけ」と言われるだけ。
そのうち、誰も信じられなくなった。
他人も家族も、友達も。そして、自分自身も。
変わり果てた姿の自分。それが自分であるという実感はなく、ただ違和感だけが残る。
もう、何が正しくて何がおかしいのか、まったくわからなかった。
その日は突然訪れた。
かつては友達と話しをしながら、笑いながら帰宅していた。だが最近は、一人で帰ることが多い。
一緒に帰ろう、そう誰かを誘っても、誰もが誰も余所余所しく、そのうち一人で帰ることが習慣になってしまった。
当然その日も、当然のように一人で帰宅していた。
街を歩いていると、突然腕を引っ張られた。突然の出来事に、まったく対応できない。
気が付くと、薄暗い路地に連れ込まれていた。
周りを見ると、数人の男に囲まれていた。
その顔には見覚えがある。同じ学校の、柄の悪い奴ら。いつも女とヤることしか考えてない、そういう奴らだ。
その時点で、僕がなにをされるのか理解できた。
駄目だ、早くここから逃げないと。
だけど、周りは囲まれていて逃げ道など存在しない。
そして僕は押し倒されて―
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そこで彼女の言葉がとまる。俯いて肩を震わせている。
私は彼女をそっと抱きしめた。
そのまま、数分。
彼女の身体は小さくて柔らかく、とても男だったとは思えなかった。
落ち着いてきた彼女が、私の胸の中で呟く。
「…痛かったです」
「うん」
「…悲しかったです」
「そうだろうね」
「でもなにより…悔しかったです」
「そっか…そうだよね…」
今までずっと男として生きてきて、突然女になってしまう。
それがどれだけ大変なことかはわからない。
この娘がどれだけ辛かったか、誰が想像できようか。
私は彼女が泣き止むまで、彼女を抱きしめていた。
「…すいませんでした」
「謝ることはない。私が勝手にやったことだからね」
彼女は申し訳なさそうにしていた。別にそんな必要ないのに。
「で、これからどうするの?」
「…今日のところは、やめておきます」
「そう」
「お姉さんと話をして、思いっきり泣いたら少しすっきりしました」
「そりゃよかった」
話を聞いてただけだけどね。
まあなんにせよ、この場で死のうという気がなくなってくれてよかった。
「それじゃあ、僕は帰ります。お仕事の邪魔をしてすいませんでした」
「ああ、気にしなさんな」
「…あの」
「なに?」
「また…会えますか?」
「…生きていれば、会えるかもね」
彼女が立ち去って一時間後。
準備は整い、後は『あいつ』が来ればよし。
スコープ越しに向かいのビルにあるレストランの窓側の席を覗きながら、私は待ち続けた。
そして、ついにその時がきた。
ゆっくりとその席に一人の男が座る。
その男はニュースでよく話題になる人物で、ありとあらゆる業界に口を挟める影のドン―そんなイメージのある人物だ。
私はその男の眉間に狙いをつけ―躊躇いなく、トリガーを引いた。
銃声とガラスの割れる音、そして悲鳴があたりに響いた。
ただ殺し屋のお姉さんが人殺す話を書きたかっただけなんじゃないでしょうか。色々末期ですね。
作中でなるべくTSという言葉は使わないようにしています。普通の人知らないし。
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