瀬尾さんの『存在証明』




 私の名前は瀬尾ティア。
 どこにでもいる普通の女子校生、という『存在』である。少なくとも、今は。

 さて、私は普通の女子校生でありながら、普通ではない特技を持っている。
 それを今から簡単にお見せしよう。
 ちょうど向かいから、髪を金色に染めた、見るからに不良っぽい男子が歩いてくる。
 面識もない、赤の他人だ。都合がいい。
 こういう奴相手だと、心が痛まなくて、いい。

 目を合わせないようすれ違い……振り返り、彼の背中に手を突っ込む。
 私の手は彼の背中にめり込み、あるモノを取り出してきた。
 彼は動かない。私が『コレ』を取り出した以上、彼の存在はあやふやで、動くことすらできないのだ。
 そして私は彼から取り出した一枚の紙――『存在証明書』を眺める。

 彼の名は――武井 和夫。男。3年生。
 見た目通りの不良で、飲酒喫煙は当たり前、かつあげ喧嘩は日常茶飯事……おや、暴走族のメンバーでもあるのか。
 これは思った以上にイイ素材だ。ふふ、こういうのを滅茶苦茶にするのが、イイんだよねぇ。

 私はペンを取り出し、和夫の『存在証明書』の内容を書き換える。
 たしかウチの近所に、結婚して30年近くたつのに子供ができなくて寂しがってる夫婦がいたよね。
 日頃から親切にしてくれてたし、彼らへのお礼の意味もこめて……名前は――「藤原 和音」っと。
 性別は女、学年は私より下の1年生で……性格は、おとなしくて子犬っぽい感じ。
 暴力なんて絶対ふるえないくらいか弱くて、乙女ちっくな趣味。
 暴走族なんて当然無理。学校では園芸部でお花を育てるのが何よりの楽しみ、と。
 あと細かい趣味とかいろいろ書き直す。マメなのですよ、私。
 ついでに私との関係も書き加えよう。
 ……憧れの先輩、っと。自分で書くと恥ずかしいね、コレ。
 さて、完成。
 コレを彼に戻すと……。

 変化は一瞬。
 背がぐっと低くなり、全体的に華奢になる。
 だぼだぼの服が、私が着ているのと同じブレザーの制服になる。ズボンは膝丈のスカートになっていた。
 髪が長くなり、派手な金髪が柔らかな栗色に変わる。
 胸元が僅かに膨らんで、顔つきも可愛らしくなる。
 うん、どこからどう見ても女の子。それも美少女。
 さすが私、完璧だ。
 彼――否、彼女、藤原 和音がゆっくりと両目を開く。
「……んっ……あれ、てぃあ、せんぱい?」
 まだ意識がはっきりしてないのか、ぼんやりとした目のまま和音は私の顔を見る
「そうだよ和音ちゃん。何ボーっとしてるの?」
「えっと……あれ?わたし、なにしてたんだろぅ……」
 書き換えたのは『存在』だけだから、ちょっと混乱してるかな。
 記憶の調整はまだできないし。将来的にできるかわからないけど。
 できるようになる気はする。根拠はないけど。
 まあ、それはさておき。
「よくわからないけど、今は放課後で、ここは帰り道なんだから、帰宅中だったんじゃないの?」
「そう、かもしれません……」
「きっとそうだよ。さ、帰ろう?心配だから送ってくよ」
「あ、はい。その……ありがとう、ございます、ティア先輩……」
 顔を赤らめ、きゅっと私の手を握ってくる和音。
 ……ふむ、憧れの度が過ぎてる気がするけど、まあいいか。
 私はソッチもいける、というかソッチのほうが好きだし。

 とまあ、コレが私の持つ『奇跡』、『存在証明』だ。
 ようするに、私は相手の存在を自由自在に書き換えることができるのだ。
 もっとも、そのためには相手の身体から『存在証明書』とかいうのを抜き出さなくてはならないんだけど。
 これがどういう仕組みかは私にもよくわからないが、せっかくの能力なので積極的に使って楽しもうと思う。

 さて、次はどうしようかな……。

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 『存在証明』がどのような能力なのかは、実は私自身もよくわかっていない。
 2週間ほど前のある朝、突然使えるようになっていた。
 使い方はなんとなく理解できていて、試してみたくなった私は、とりあえずクラスメイトで試した。
 ターゲットはクラス委員の男子。眼鏡をかけた、生真面目で神経質な奴。おまけに成績優秀。
 いい加減な性格の私とは反りが合わず、とにかく嫌いだった。
 あと背が無駄に高いのも気に触る。トゲのある言論と相俟って、見下されてるような錯覚すら覚える。
 なので、真逆の存在にした。
 背が低くてだらしなくて、いい加減でエロくて馬鹿で、でも人当たりがよくて優しくて、裸眼視力2.0の親友に変えてやった。
 そしたら何故か私がクラス委員になってしまったが、まあ親友が手助けしてくれるので何とかやっていけている。……まあ、足を引っ張られることも多いんだけど、そこは愛嬌ということで許す。許せる。

 とまあそんな出来事により私はこの能力(どうやら『奇跡』と呼ぶらしい)を自覚した。
 それから私はこの能力をいろいろ試してみた。
 その結果わかったことは3つ。

1.『存在証明』は自分や他人に使える。無生物にも使えるが、生物に変えることはできない。
2.『存在証明書』が破れても、その人の存在に影響はない。いったん身体に戻してから取り出しなおすと元通り。
3.私自身の存在が消滅しそうな事を書き込んでもそうはならず、無理矢理私の存在を確立する事象へと変動する。

 1はまあ、特に説明も要らないだろう。
 極端な話、私の『存在証明書』に不老不死と書き込めば、私は少なくとも老衰で死ぬことはなくなるであろう。さすがに心臓や脳を破壊されたら耐えられそうもない気がするけど。
 2のケースは、以前うっかり破いてしまった時に気付いた。
 くしゃみの衝撃で他人の存在を消してしまったら洒落にならない。
 その後無生物――庭で拾った石で実験したところ、『破く分には問題ないけど、燃やすと存在が消える』ということがわかった。
 以来、『存在証明』を使う際は、火の気のないのを確認してからにしている。別に私は他人を殺したいわけではない。遊びたいだけだ。
 3はちょっとしたミスがきっかけで気付いた、重要な事項である。
 その日の私は機嫌が悪く、ついでにパパの機嫌も悪かった。
 そして、ちょっとしたことがきっかけで大喧嘩して、勢いでつい、パパを女性に変えてしまったのだ。
 変えた瞬間にはっとした私は、自分の消滅を覚悟したが、何事も起きず、今日まで無事に過ごしている。
 調べてみると、『元パパだった』お母さんとママがレズビアンカップルだったことになり、私は養子であるということになっていた。
 その条件で私自身の容姿が変わらなかったり、近所付き合いに何の影響もなかったりするのが不可思議ではあるが、その方が都合がいいことは確かなので、深く考えないことにした。
 とりあえずこの珍妙な家庭環境はなかなか愉快なのでそのままにしてある。

 さて、今日はある実験を行うことにした。
 それは、「他人同士の『存在証明書』を交換したらどうなるか」という事。
 というわけで、今私は満員電車の中にいる。
 こういう場だと痴漢が怖いが、とりあえず今私の周りにいるおじさん達は大丈夫だ。
 何故なら、ホモだから。予めそういう風にしておいた。
 全員女性に変えてしまってもいいが、ここでそれをやってしまうと後でネタがなくなりそうなのでやめておく。
 どんな女の子に変えるか、そういうのが楽しいのだ。こんな所で乱発したら勿体無いじゃないか。
 とりあえず彼らには周囲の目からの壁になってもらう。
 で、今回のターゲットは……
「ぁん♪健ちゃぁん、今触ったでしょう」
「えー、いいじゃんかー。お前の胸、でけーから触り心地いいんだって」
「もう、えっちなんだから♪」
 ……なんだこの変態共。
 こんな満員電車の中で、何やってるんだ。
 ……うん、こいつらに決定。
 エロい事すんのは勝手だけど、場をわきまえないのは迷惑だ。
 さっそく私はそっと彼らに近付く。こういう時、小柄なのは便利だ。色々と触りたくないものを触ってしまう事もあるけど。
 ……今度、背を高くしておこうと心に誓いつつ、私は彼らの死角から手を伸ばし、『存在証明書』を引き抜く。
 彼らの動きが止まった事を確認する。回りの人達の中には突然彼らが黙ったことを不審に思う人もいたようだが、すぐに彼らのことを意識しなくなる。
 『存在証明書』を抜かれた今の彼らは、空気みたいなモノである。誰も気付かず、誰にも気付かれない。
 私は手元の『存在証明書』を見る。
 男の方は高村 健二。エロい事ばかり考えてる、ある意味健全な男子だ。がっちりした身体は空手部で培ったらしいが、こいつは身体よりも精神面を鍛えるべきであろう。
 女の方は佐々木 晴香。巨乳で、頭が弱い。顔は私の方がいい。異論は認めない。
 二人は幼馴染で、数年前から付き合っている。えっちは週5回。よほど相性がいいのか、喧嘩した事はほとんどないらしい。
 ……なんか、むかつくなぁ。
 いや、嫉妬じゃないですよ?男と恋愛する気は今のところないですし。
 ではさっそく『存在証明書』を交換して戻そうとするが、ふと気付く。
 ただ交換しただけでは、存在が入れ替わるだけではないだろうか。
 即ち、「健二」が「晴香」だったことになり、「晴香」が「健二」になる。
 私がペンで書き換えただけで姿が変わるのなら、『存在証明書』を入れ替えてもその設定の姿になるのは必然だろう。
 元からそうだった事になるから……何も変わらないじゃないか。
 ……書き換えるか?いや、それじゃカップルを選んだ意味はない。
 一部だけ交換できればいいんだけど……あ、そうだ。
 私は健二と晴香の『存在証明書』から、身体的な特徴を現す部分を破り取る。その際、性別の欄はそのままで残るようにしておいた。
 そして、健二の方に「健二としての設定と晴香の身体的特徴」を、晴香の方に「晴香としての設定と晴香の身体的特徴」をそれぞれ入れてみる。
 変化は一瞬。
 健二の背が一回り小さくなり、逆に晴香の方は高くなる。
 健二は髪が伸び、晴香は短くなる。
 健二が華奢な体型になるのと同時に、晴香の体型はがっしりと筋肉質になる。
 健二の胸が膨らんだところで、変化はとまった。
「……あれ?おれ、なにしてたんだっけ?」
「……どうしたの、健ちゃん?」
 一瞬ぼんやりとしていた二人だが、すぐにまたいちゃいちゃしだす。
 だが、その光景は先ほどとは異なる物であった。
「あ、いや、なんでもねえ。そんなことより、お前のち○ぽ、でけーよな♪」
「あん。健ちゃん、こんなところでスカートに手を突っ込まないでよぅ」
「ひゃぅ♪お前こそおっぱいさわんなよー!えい!」
「あぅ!駄目だって〜」
 一瞬公共の場でいちゃつくバカップルの会話に聞こえるが、その内容は少しおかしい。
 そしてその見た目はとてもおかしい。
 男装した女が、女装した男のスカートに手を突っ込んで弄んでいるのだ。
 男の方は男の方で、男子制服を着た女の胸を――まるで、自分の胸を触るように――慣れた手つきで揉んでいる。
 周囲の人達は彼らの行為を迷惑に感じているが、服装があべこべである事には誰もつっこまなかった。
 当然だ。女の身体であっても健二の存在は「男」であり、男の身体でも晴香の存在は「女」なのだ。
 男が男子制服を着て、女が女子制服を着ていて何がおかしいというのか。
 だからだれも、彼らがおかしいとは思わない。

 ……唯一、私を除いて。
 ……晴香の方、見るのきついっす。
 倒錯的な感じでなかなかそそるけど、ビジュアルはアウトです。

 ……今回はちょっと失敗したけど、次はもっと楽しくしよう、うん。

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「へえ、面白い『奇跡』の使い方じゃないか」
「確かに。でも、危険な力ね」
「ま、しばらく様子を見ましょうや、姐さん」
「……そうね」

………
……


 監視役の「姐さん」が立ち去ったのを確認し、あたしはタメ息をつく。
 姐さんはいい人なんだけど、頭が固い。正直、苦手だ。
 あのティアって娘が少しでも道を踏み外そうとしたら、姐さんは容赦なく殺すであろう。
 彼女があの『存在証明』の力を、そう、例えば――世界征服とか、馬鹿げたものに使おうとするのなら。

 例え話をしよう。
 もしあなたに何らかの特殊能力――仮に、彼女の『存在証明』を使えるようになったとしよう。
 さあ、あなたはこの力をどのように使う?
 自分の存在を変える?
 他人の存在を変える?
 それとも、あえて使わない?

 彼女は、他人の存在を変えることを選んだ。
 男を女に変える――その行為は、恐らく彼女の心を満たしているであろう。
 世界の運命すらをも、思うままに操作できる――そんな錯覚すら覚えるほどに。

 今はまだ、彼女は自分の欲求のために力を振るうだけだ。
 それならそれでいい。いかに他人を巻き込もうと、それは彼女自身の責任だ。
 だけど、もし世界全ての理を変えてしまおうとするのなら。
 今の彼女には出来ないが、あの力はそこまで至る可能性がある。
「……しかたない、動くか」
 姐さんには様子見と言ったけど、まあいいや。どうせあたしがこう動くことを予測してるだろうし。
 まあ、遠目から見ていた感想ではあるが、個人的に彼女は「敵」であるより「味方」でいたほうが楽しそうだし。
 やつらから守るのには、近くにいたほうがやりやすいし。
 何より、間近で男が女になるサマを見るのは面白そうだし。



 ああ、そうそう。
 もう一つだけ、例え話をするね。
 もしあなたに何らかの特殊能力が目覚めたとして――

 あなた以外に、そのような能力を持つ人間がいないなんて、思っていないよね?

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 私のクラスは随分と華やかな雰囲気になっていた。
 なにせ、クラスの全員が女の子、それも美少女だらけなのだ。(私含む)
 中には私よりも可愛い子すらいる。腹が立つことに。
 学校中でもトップクラスの美少女の集まりである。
 ちなみに他のクラスの男女比は8:2――男子が圧倒的に多くなっている。
 別に私のクラスが専門学科で、女子が多くなっているとかそういうことはない。(看護系の学科がある学校だと、一クラス全員女子、他の学科は男女比5:5というところもあるらしい。本当かどうか知らないけど)
 そんな状態なのに、どこのクラスからも一切不満の声が上がらない。まるでそれが当然のように。
 もちろんコレは、私が『存在証明』でそうしたから。

 今このクラスにいる女子の3割は、元々「男子」として存在していたのを「女子」に変換した娘達である。
 元クラス委員で現おバカな私の親友「橘 楓」を筆頭に、性別を反転し、容姿を整えられている姿は、生まれついての女子と比べても区別はつかない。

 そして2割の人達は、他のクラスの女子の『存在証明書』を「入れられた」娘達だ。
 彼らは電車の時の健二達とは違い、性別まで交換してある。
 例えば私の隣の席でエッチな本を広げているのは、巨乳が眼を引く「河野 市子」であるが、中身は「山下 幸雄」だ。
 窓側の席でどの女性アイドルが一番好きかを熱弁しているのは、「村田 隆」で、その姿は生徒会会計の「木下 優」のものだ。
 そう、彼らが交換されているのは、あくまで性別までである。性格や性癖は男子の頃のままだ。
 なお、彼らの容姿として選ばれた女の子達は、男にするのも勿体無い……もとい、可哀想なので元の姿に書き換えてある。
 ようするに、「交換」ではなく「複製」である。同じ学校内で同じ容姿、ただし別人格の人物が存在していることになる。しかも片方は男の名前だ。
 今この力で交換しても、そっくりそのまま変わるだけで面白みは少ない。だったら、こういう感じにした方がいいだろう。
 ……まあ、容姿情報だけ書き換えても同じだった気もするけど、あえて別人の存在を入れられてる方が……興奮しません?

 1割は、元から女性ではあるが、「年齢」を変更している。
 先ほどから私の顔をじろじろ眺めているのは「大橋 菜緒子」で、元体育教師だ。彼女はレズの気があるが、これは私が書き加えたわけではない事を弁明しておく。
 「宮本 メイ」は剣道部の部長を務めていたカッコよくて素敵な先輩だったが、このクラスに来てからは部長ではなくなっている。色々と複雑な要素が絡み合っているようだ。
 ついでに背も173cmから、145cmまで縮んでいる。背の設定は指定していないのでなぜそうなったかはわからないが、私とはちっちゃい者同士、色んな意味で仲良くなったので、問題はない。カッコよさが下がってるのが残念だが、乙女度は上がってるので良し。
 本来いた男子達は、彼女達が持っていた肩書きと年齢を与えておいた。結果として、社会的な立場を交換したようなものだ。

 残りの4割は元からの女子。説明するほどのことはない。
 このように、私好みの女子を集めた楽園のようなクラスを作り上げたのだが……。
「はぁ……」
 ちょっと、物足りない。
 好みの女の子達に囲まれた生活は快適だ。女同士である故の安心感、気軽さ――そして、敵意。
 このクラスでもすでにいくつかのグループが出来ていて、それぞれの「距離感」が生まれている。
 ――油断すればクラス全員が敵になりえ、またその逆に誰か一人を除いて味方という状態になる可能性もありえる緊張感は、まさに女同士特有の物。
 こういったギスギスした空気を嫌う人も多いが、私は好きだ。
 これが、この駆け引きこそが、女同士の醍醐味だと私は思っている。
 ……まあ、そうは言っても喧嘩やイジメはないに越したことはないので、そこはいろいろ調整したけど。
 閑話休題。このように私としては過ごしやすい環境になったものの、何かが物足りない。
 なんというか、ほら、パズルのピースが所々空いてるような、そんな感じ。
 『存在証明』を使った時は満足するものの、やはり足りない。
 もっとできるはず、まだこんなものじゃない、そういう根拠のない想いが頭の片隅にこびりついて離れないのだ。
 私は自分の『存在証明書』を取り出す。
 そこに記された『存在証明』の項目は、このようになっている。


『存在証明』/カテゴリ:『奇跡』

・存在を証明する『奇跡』。
・相手の存在の情報を、『存在証明書』という形で抜き出すことが出来る。
・『存在証明書』に書かれているのは、対象の存在そのものである。
・『存在証明書』を書き換えることで、存在を書き換えることが出来る。
・『存在証明』は主の存在を確立させ、その魂を揺るぎないものとする。





 見ての通り、書かれている内容がわかりにくい。
 漠然と意味は理解できるが、それが正確なのか、それとも間違っているのか……それすらもわからない。
 そして、下の空欄3つ。ここにはまったく何も書かれていない。
 最初はよくわからなかった。ついでに、5番目の欄も空白であった。
 しかし、私が「パパ」を「おかあさん」にしてしまった後、空欄に文字が浮き出していた。
 そこから予測すると『存在証明』には、恐らくあと最低3つ、なにか秘密があるのだろう。
 そしてそれは、私がそこになにが書かれるのか気付かぬ限り、埋まらないのだと思う。
 だが色々試しても、未だにその欄に文字が刻まれることはない。
 その事も、私の空虚感を増幅させている気がする。
 ……どうしたものか。
「ティアっち、帰らないの?」
 楓(元学級委員の男子)の言葉で、いつの間にかホームルームが終わっていることに気付く。
 今ここにいるのは、楓だけ。
 一緒に帰ろうと、待っていてくれたのだろう。
 だけど――楓には悪いが、今日はそういう気分ではない。
「ああうん、少し残ってくよ」
「あ、わかった。じゃ、また明日ね」
「うん、バイバイ」
 楓が笑顔で教室から出ていく。少々薄情な感じもするけど、あまりしつこくされてもやり難いから、これくらいの距離感でいいと思う。
 さて、もう少し考えてみよう。
 『存在証明』をどのように使えば、私は満足できるのだろうか――

「ハードルをあげてみたら?」
 突然後ろから声が聞こえた。
「誰!?」
 振り返ると、そこにはいつの間にか一人の女性がいた。
 褐色の肌と金色の髪を持つ、黒いローブを着た、美人。
 この人物に見覚えはない。どう見ても学校関係者ではないと思うが、何者だろうか。
「あー、うん。そう警戒しなさんな。あたしは、そう悪い者ではない、と思う」
 金髪美人は両手を上げ、少し笑いながらそう言った。
「……あなた誰?」
「そうだね……多分、魔女……だよね?」
 逆に聞かれた。なんなんだこの人は。
「でもまあ、とりあえず、敵ではない。敵対する気はない……まあ、それはさておき」
 魔女と名乗った女は、一歩だけ私に近付いた。
「君の力を「成長」させる手伝いをしたいんだけど……どうかね?」
 その言葉は、悪魔の誘惑のようにも聞こえたのだった。

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「あたしの名前は、フィーナ・フィル・フィー・フィン……フィル以外なら好きに呼んでいいよ」
 どこからともなく取り出したパンを食べながら、魔女は名乗った。変わった名前だと思った。
「偽名?」
「まあね。あたしは呪術師だから、本名出すと不都合があるのよ」
 ……呪術師?なんだかわからないが、真っ当な仕事でないことだけはわかった。
 『存在証明書』で確認すればわかることだけど……。
「ああ、あたしから「紙」を抜いたら、呪うから」
 そう言った瞬間、パンがドロドロに溶けて、床に落ちた。硫黄のような臭いが一瞬だけして、すぐに消えた。
「ああっ、やっちゃった!これ、限定10個の貴重品なのに!」
 悔しそうにパンであった物を見ながら肩を落とす姿は少し愉快ではあったが、私は笑えなかった。
 あれを私にやられたら……。
 この魔女を怒らせるのは色々ヤバイ。色々気をつけたほうがよさそうだ。
「……はぁ、残念。あ、質問があるなら答えるよ。答えられる範囲で、だけど」
 質問、ねぇ。
「……フィーナ……さん、は、なんで私の力を知ってるの?」
 聞きたいことはたくさんあったが、まず確認するべきはコレだろう。
 『存在証明』で変えられた存在は、元からそうであったように認識される。故に、誰にも気付かれない。
 『存在証明書』を見られたか?いや、あれも私にしか触れないし、見えないはず。(この事には最近気付いた)
 それなのに、なぜこの魔女は私の力に気付いたのか。
「魔女だから」
「……は?」
「魔女だから。そういうものなんだよ。ほら、なんとなく雰囲気とかで。少なくとも奇跡使いかどうかはわかる。魔女はね。
 で、君の事をじっくり観察して、大体どういう能力か把握させてもらったってわけ。もっとも、あたしらが認識できる事自体は変えられてるから、元がどんな状態かは覚えてないけどね」
 ようするに、私が何をしたかはわかるけど、何をどうしたのかはわからない、ということだろうか。……よくわからない。
 というか、そもそも。
「魔女って、何?」
 さっきから普通にそう名乗ってるけど、それがいったい何を意味するのか。
「そうだね……不老不死――正確には、老衰を免れる粋まで行き着いてしまった、愚かな奇跡使いだと思ってくれれば、大体合ってるね。あ、さすがに心臓刺されるとかしたら死ぬけどね」
「……奇跡使いって?」
「君やあたしみたいに、人が本来使えない力を使える人間のことだよ。ちなみに奇跡ってのは魔法や超能力――果ては呪術まで含めた異能力を一言で表す、便利な言葉だね」
 うん、確かに便利だ。
 ようは「不思議な力」を使えるのが「奇跡使い」で、その中でも「自然に死ねない」のが「魔女」、ということだろう。
「……で、なんでその魔女が、私に協力しようとするのさ。赤の他人じゃない」
「その方が都合がいいから」
 フィーナは平然と答えた。
「君の力は凄いからね。敵に回すより味方に引き入れたい。今は戦力がほしいからね、あたしらも」
 先ほどからフィーナは、あたし「ら」と言っている。彼女は一人ではなく仲間がいるということだろうか。
「ようするに、私に協力する代わりに、私を利用するという事よね」
「そ。まあ、ギブアンドテイクだよ。持ちつ持たれつ、仲良くやっていかない?って提案だけど――どうする?」
 少しだけ考えて――否、考える振りをして、自分の想いを伝えた。
 どうするべきかなんて答えは、とっくに出ている。フィーナ達が私を利用するというのなら、私も彼女たちを利用すればいいのだから。
 なにより……まだ、死にたくないし。

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 ……というわけで、私はフィーナに『存在証明』の成長を手伝ってもらった。
 奇跡というものは大抵4段階くらいパワーアップするらしく、とりあえずは第2段階を目指す形となった。


――そして、一週間後。

 私の『存在証明書』には、新たな一言が追加されていた。

・「過去」があるからこそ、「現在」、そして「未来」へと『繋がる存在』となる。

 この言葉が何を意味するのかおわかり頂けるであろうか。
 まあ、説明するよりやってみた方が早い。
 というわけで、今私は駅前にやってきている。
 夕暮れ時の駅前は、帰宅しようとしている人たちで賑わっている。これだけいれば
 さて、誰にしようか。誰でもいいってわけには行かないんだよなぁ、今回は。
 まず、男。その方が楽しいし。
 できればイケメン。容姿の条件は別になかったけど、ここはサービス。
 それなりに運動神経がいいとありがたい。野球部なら非常に楽。
 そしてやる気のない奴。どうせ咲く気のない花だ。咲きたい花と差し替えた方が本人のためにもなろう。
 ……そうそう、今回は「私の娯楽」だけではない。ある少女――笹村 渚の願望を『勝手に』叶えてしまおうという、おせっかいも含まれている。
 私の鞄の中には、予め抜き取ってきた渚の「アレ」が入っている。(身体は私の家においてある)
 どんな願望かは彼女のプライバシーに関わるので、はっきりとは言わない。
 ヒントとしては、「女子は甲子園に出られない」ということだろうか。そして、彼女の願望はそこがスタートラインなのだが。
 うん、どこかにいないかな。……ゲームセンターとかにサボってる野球部員いないかな。
 私はゲームセンターに足を踏み入れた。

 ……やってしまった。
 私の手の中にはほぼ空になってしまった財布が残されていた。
 ……このゲーセン、クレーンのアーム弱い。弱すぎる。
 テクニックでどうにもならないレベルだと思う。こんなの取れる奴、絶対いないって。
 諦めるしかないのか、ベ○オ娘……。ゲーセンプライズ品の割には出来がよさそうなのに……。
「なあ、あんた、それ欲しいの?」
 突然声をかけられた。
 振り返ると、そこにいたのは私と同年代の、髪を金色に染めた少年だった。
 がっしりとした体格で、少々チャラいが、顔は整っている。
 ふむ、体力はありそうだ。
「……すごく、欲しいです」
「じゃあさ、もし俺が取れたら、一緒にカラオケいかね?」
 うわ、ナンパだ。しかもなんか微妙だ。
 その条件で個室に連れ込もうって、こっちのリスク大きすぎるんですが。
 ……いや、むしろコレはチャンスなのでは。
 私はベ○オ娘を手に入れる。男は私を手に入れる。彼女は願望をかなえられる。
 三方とも得する最良の手段があるじゃないか、私には。
 というか本来の目的それだしね。クレーンゲームで散財じゃないからね。
「いいですよ。取れたらね」
 仮に取れなくても、私は損はしない。完璧だ。
「よぉし、見てなよ!」
 男はやる気満々でクレーンゲームを始めた。

――数十分後。
「……ほら、取れたぜ」
 男は半分涙目で私にベ○オ娘フィギュアを手渡してくる。
 どれくらいのお金をつぎ込んだかは彼の名誉のために伏せておこう。
「ありがとうございます」
「じゃ、一緒に……」
「ええ、その前に後ろ向いてくれません?」
 正面からだとやりにくいし。
「あ、ああ」
 男は素直に後ろを向く。
 うん、もう少し人を疑った方がいいと思うよ。だから、カラオケ代より高くクレーンにつぎ込まされた挙句――人生変えられちゃうんだよ。
 私は男の背中に手を突っ込み、『存在証明書』と「もう一枚の紙」を抜き出す。
 男の動きが止まり、なんだかぼんやりとした雰囲気になった。
 ……名前は、高津 アキラ――同い年、か。
 部活は去年まで野球部、今年からは帰宅部。
 なんで野球をやめたんだろう。気になったので、「もう一枚の紙」で確認する。
 ……なるほど、そういうことか。
 アキラは去年、大会前の練習で頭部にデッドボールを受けてしまった。
 怪我自体は直ったものの、死球の影響でボールに恐怖感を感じてしまい、野球ができなくなってしまったようだ。
 以来、野球という生きがいを失った彼は、チャラい感じにイメチェンし、今までの自分を忘れようとしているようだった。
 ……結構いい奴だ。まあ、ナンパ目的とはいえ女の子に優しくしてくれるような奴だし。
 うん、気に入った。こいつに決定。
 私は鞄の中から渚の「『存在証明書』ではない、別の紙」を取り出す。
 この紙の名は、『過去証明書』である。
 『過去証明書』はその名の通り、その存在に至るまでの過去が記載されている。「記憶」ではなく、「過去」である。ここ重要。
 その存在の、過去に起きた事実だけが克明に刻まれている。そこに感情などなく、ただ事実だけが記載されている。
 例えば、Aさんは過去に交通事故に遭っていたとする。Aさんの『過去証明書』には「事故に遭った」という事実は書かれるが、どのように感じたか、どのように思ったかという、その時の「思い出」は一切書かれない。
 例えば、Bさんは9歳の頃には胸がCカップの巨乳だったとする。Bさんの『過去証明書』に書かれるのは「9歳にはCカップであった」という事実のみで、それが元で男子からいやらしい目で見られていた気がするという、Bさん自身の「記憶」は記されない。
 『存在証明書』に書かれているのがその人の個人情報で、『過去証明書』は経歴と考えるとわかりやすいかもしれない。
 ただしあくまでそこに記されているのは過去の出来事。即ち、既に起きてしまった事だ。その所為かどうかは定かではないが、私には『過去証明書』を直接書き換えることはできない。
 『存在証明書』を書き換えた結果、『過去証明書』が書き換わることはできるが、直接書き換えることだけはどうやってもできなかった。
「多分、【現在】が書き換えられたから、そこに至る為の【過去】が変わるんだろうね。
 で、逆に【過去】が変わるということは、【現在】も変わってしまうから、故に簡単には変えられないのかもしれないな」
 と、フィーナは分析している。
 過去を変えることなど誰にも許されない。故に現在の存在が――例えば男を女という存在に変えてしまうのなら、過去から女だったことになるのが一番整合性が取れているということだろうか。
 まあ、そんな小難しい話はどうでもいい。
 重要なのは、『過去証明書』を取り替えたらどうなるか。
 私はアキラの身体に、アキラの『存在証明書』と渚の『過去証明書』を入れた。
 アキラの身体に変化が現れる。
 がっしりした体格は、あっというまに華奢で柔らかい物に変わった。背丈はあまり変わらない。
 髪がばさっと伸びていく。無造作に腰まで伸ばされた髪は金色のままであった。
 胸元が膨らむ。ただし、それほど大きくはない。
 服装は紺のブレザーに膝上辺りまでの丈の、私が通う学校の女子制服になっていた。
 ほんの一瞬で目の前にいた少年は、ちょっと不良っぽい感じの女の子になっていた。
「……あれ?」
 アキラは自分の身体をまさぐりだす。
 胸の膨らみを手で覆い、
「ふ、膨らんでる!?ま、まさか……」
 ゆっくりと股間を抑えた。
「……ない、なくなってるぅ!!」
 アキラは顔面蒼白で自分の身体の変化を確かめていた。
「なにやってるんです?カラオケ行くんじゃないの?」
 私は笑いを堪えながら、「彼女」に声をかける。
「そ、それどころじゃないって!お、おれ、女の子になってる!」
 そう、彼は自覚している。
 自分が元は男で、突然女の子になってしまったことを。
 だが、しかし。
「いや、元々女の子でしたよね」
「な、何言ってるんだよ!」
「じゃあ、男であった証明をしてください」
「うっ……」
 アキラは黙り込んでしまう。
 答えられないよね。
 だって今のあなたは、「高津 アキラ 性別:男」という存在でありながら、その身体は「女としての人生」を歩んできたのだから。
 思い出せるのは男としての記憶。でもそれは記憶だけで、今の身体に男としての経験は存在しない。
 存在の上では「男」でも、身体は間違いなく「女」である。故に、男であると、はっきり証明できないのだ。
「まあ、そんなことより早く行きませんか?カラオケ、久しぶりだから楽しみなんですよ」
 そう言いながら、私はアキラの両手をとる。
「え、あ、う、うん」
 アキラは顔を真っ赤にして頷いた。


 このように『過去証明書』は入れ替えることで、通常では不可能な【「過去」を変えることで「現代」に影響させる】という裏技が使えるのだ。
 また、設定上の存在よりも、現実の姿が優先されるようで、今回の場合は周囲からは女の子として扱われることになるようだ。
 いろいろややこしくて使いどころが難しいが、まだまだ研究のしがいがありそうである。


 あ、カラオケは楽しかったです。性的な意味で。
 あと笹村 渚という「男の子」が後に野球部で活躍するのはこのときの私には知る由もなかったりします。

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 家に帰るとフィーナがお母さんと飲んでいた。
「あ、おかえり」
「……ただいま。何してるのさ」
「酒の匂いがしたのでやってきました。酒あるところに割と現れ、酒ないところには大体いない、それがあたしさ!」
「今いいこといったね!さ、もう一杯……」
「あ、どうも。さ、そちらも……」
 ……飲んだくれめ。
「それにしても、君の所の家庭、いい感じに狂ってるね。最高だわ」
「……そりゃどうも」
「母親二人って、どこの会計だよ!って感じだけど、まあいいんじゃね?そういうのもさ」
 会計って何の話ですか。
「それにしても、あんたハーフなんだねぇ」
「ええ、そりゃそうでしょうよ。純日本人の家庭でティアって名付ける親はあまりいませんよ」
「それもそうだ。あ、グラスからになってますよ。ほら、もう一杯……」
「お、こりゃすいませんね。ではこちらも……」
 ……これ以上ここにいても仕方ないな。私飲めないし。
 私は酔っ払い二人を放置して部屋へ行こうとする。
「ああ、そうそう。この辺りで最近不思議な気配を感じるから、少し気をつけてね」
 そんなフィーナの言葉に、私は手だけで返事をした。

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 あか。
 まっかだった。
 めのまえは、まっかにそまっていた。
 あかいあかい。
 これはなんのいろだろう。
 なんでこんなにあかいんだろう。
 わからない。
 わからない、けど。

 なんだか、すごくおちつく。
 あかくそまるのが、とてもきれいで。
 いっそ、せかいすべてがあかくそまってしまえばいい。
 あのひととおなじ、あかいいろになればいい。

 それが、「ひと」としてのさいごのきおく。
 こうしておれは、けものになった。

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「ティアさん、聞いた?西町の話」
 席に座ると、ちっちゃな剣道部員で、私のお気に入りの一人であるメイが近寄ってきた。
 今は似たような背格好なので、「ちびっこコンビ」とか呼ばれることもある。そこまで小さくないのに。むかつく。
 まあ、それはどうでもいい。西町の話……って、なんだろうか。
 西町といえばメイの家の辺りじゃないか。
「聞いてないけど?」
「ああ、じゃあちょうどいいや。説明するから、今夜泊まりに行っていい?」
「……いや、大歓迎だけど、なんで?」
「うん、今日、ウチ家族がいなくてさ」
 じゃあ私がそっちに泊まった方がいいのではなかろうか。いろいろな意味で。
「それがそういうわけにもいかないんだよ。女の子二人は危険だ」
「まあ、いろんな意味で危険だね」
「ああ、なにせ西町限定で強盗傷害事件が多発してるからな」
 なにそれこわい。
 てか初耳なんですけど。
「なんでも、目が血走った男が突然窓をぶち破って押し入ってくるらしい」
「それはとてもシンプルだね」
「素手でわしづかみにした包丁を振り回して、「金を出せ〜、金を出せ!」などと言って現金を強奪するそうな」
 包丁わしづかみって……どういう感じなんだろう。刃か?刃をわしづかみなのか?それはこわい。
「犯人は20代から30代の間で、事件後大体すぐ捕まるんだけど」
「捕まってるんだ。そりゃ一安心だね」
「ところがどっこい、捕まった男は放心状態で、何を言っても無反応。そして奪った金は行方不明。
 しかもだ。翌日、まったく別の人がまったく同じ手口で強盗をするんだそうだ」
 ……まったく、同じ手口?模倣犯か?
「もちろん警察も模倣犯の線を疑ったけど……この事件、ニュースで報道されてないんだよね」
 ……報道もされてないニュースを、なぜあなたが知っている?
「でも、事件は実際に起きてるんだね」
「うん。それも毎日。そろそろ一週間くらいになるのかな。まだ軽い怪我人だけで済んでるのが奇跡的だって、父が言っていたよ」
 ああ、そういえばメイの父親は警察官だっけ。
 それなら、そういう事件の話を知っててもおかしくはない。守秘義務とかどうなってるんだとは思うけど。
「それで、しばらくは一人で行動するのは控えるように言われたんだけど……遠方の親戚に不幸がありまして……」
「お父さんお母さん揃ってそちらへ行くと?」
「うん。わたしも行った方がいいかなって思ったけど、遠縁だし、わたし自身が直接知らないし、なにより旅費が高いから、誰か友達の家に泊まるといい、って母が進言してくれたのです」
 知らない親戚と話するのは結構大変だから、その配慮はありっちゃありなんだろうけど……。
 まあいいか。他人の家の事情だし。
「まあ、そういう事情なら問題ないでしょう。ついでに楓も誘ってパジャマパーティーでもしますか」
「あ、いいね、それ。じゃあ、わたしは楓に声をかけてくるよ」
「じゃ、私は家に電話しておくよ。パジャマパーティー、楽しみだね」
「ああ、楽しみだよ」
 まあ、最終的にパジャマを脱ぐとは思うけど。
 そのような邪な考えはおくびにも出さず、私は早速家に電話し、二人を泊める許可を得たのだった。

 ……フィーナの言ってた、不思議な気配ってこの事件のことなんだろうか。
 少しだけ、そう思った。

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 さて、ティアが空気を読まずにパーティーを楽しんでいる頃。
 あたしことフィーナ・フィル・フィー・フィンは、西町と呼ばれる地域へとやってきた。
 もちろん用件は酒……ではなく、連続強盗傷害事件の犯人探しである。
 あたし個人としては別にこの世界での些細な事件など放っておきたいところではあるが……飼ってる小鳥が『蛇』に噛まれる可能性があるなら、駆除するのは飼い主の役目であろう。別にティアを飼ってるつもりはないけど。
 というか黒幕があたしの予想通りなら……ティアじゃ、まだ荷が重いしね。
 そもそも、まだ『存在証明』は矛盾だらけの、発展途上な奇跡だ。(過去を変えられないのに、現在の存在を変えたら過去が変わる……おかしいでしょ?)
 奇跡という力の限界点を知らないのだ。『存在証明』でどこまでやれるのか、ただそれだけをティアは知らなくてはならない。
 まあ、それはおいおい教えていけばいい。今は、強盗傷害事件の方だ。
 この事件の裏には、なにかがある。あたしの予想では、「魔女」クラスの奴が関わっていると睨んでいる。
 力に目覚めたばかりの奇跡使いが暴れてる可能性もあるが、それにしては手が込んでるし、めんどくさい。こういう面倒なことは、時間に余裕がありすぎる魔女が暇つぶしに行うのに最適だ。
 なんにせよ、他人を傷つけて、奪う。このやり方は気に入らない。どうせ他人を巻き込むなら、他人を不幸にするなら、気持ちいいほうがいいじゃないか。傷つけるのは、痛いだけで、辛い。面白くない。
 ……しかし、来たのはいいんだけど、どうやって探そう。物さがしをする呪術もあるけど、捜すモノが明確でない(誰を捜すのかがわからない)今回の場合は役に立たない。
 適当にその辺りへ『呪い』をばら撒くか?いや、美しくないな、それは。
 仕方がないので地道に歩いて捜すことにした。

――二時間後。

 まさか、こんな展開になるなんて。あたしは頭を抱えた。
 あたしの目の前には、うつ伏せで倒れている男が一人。
 そして、あたしに抱きついて泣いている二人の少女。
 あたしの胸元辺りくらいまで背のある女の子と、その子の胸元くらいまでの背の高さの女の子。多分姉妹だろうか。
「うわぁぁぁんぁぁぁんっ〜〜」
「怖がった、怖がったよー!!」
「……うん、もう大丈夫だから、ね?」
 二人の少女の頭を撫でながら、あたしは状況を整理する。

1.当てもなく歩いていたら、ガラスの割れる音がしたのでそっちへ向かった。
2.ある家へ向かうと男女が二人ほど死んでた。多分夫婦。
3.家の中を調べてみると子供部屋と思われる部屋があったが、そこに子供はいなかった。
4.外に出たら、かすかに子供の声が聞こえたので路地裏へと入り込んだ。
5.包丁を持った男が女の子達を追いつめてたので、たまたま近くにあったブロックで後ろからぶん殴った。←今ここ

 ……ああ、そうか。強盗傷害事件じゃなくなっちゃったんだな。
 そして、この子達の両親は、もう……。
 くそっ。いつもこうだ。肝心なときには間に合わない。
 ……いや、今は悔しがってる場合じゃない。今やるべきことは、後始末だ。
 子供の泣き声がしているのに周囲の家から誰も出ないことを考えると、おそらく結界的な能力を使われている。
 今のあたしたちは、何者かに監視されているということは間違いない。
 その状況下で、まず何をするべきか……。
「……今来たんだけど、どういう状況?」
 突然後から声をかけられた。
 顔だけで振り返ると、そこには背の低い、一見子供のような女性がいた。「姐さん」だ。
 辺りが暗いので、その表情も、特徴的な青い髪も判別できない。上機嫌でないことだけは確かだ。
「……遅かったですね。『音速の魔女』の名が泣きますよ?」
 速さ自慢の姐さんに「遅い」という暴言を吐くのは、命懸けだ。最悪殺される。
 それでも言わざるを得ない。この人が少しでも早く来てくれれば、あるいはこの子達の両親は助かったかもしれないのに。
「……ま、確かに今回のあたしは遅かったわ。否定できない。受け入れましょう」
 幸い、あたしの首が落とされることはなかった。
 さて、どうしたものか。
 いや、やるべきことは決まっている。ただ、この子達の前ではあまりやるべきではないことだ。トラウマになる。
 しょうがない。ここは『音速の魔女』様に御協力願おう。
「姐さん、ちょっとこの子達を近くの公園まで連れて行ってあげてください」
「公園?家じゃなくて?」
「はい。家に帰すのは……今は、やめておいた方がいい」
 彼女たちの家にあるのは、今一番見せたくないものだから。
「……なんだかわからないけど、そうした方がいいみたいね。ほら、おいで」
 泣いている少女達の手を引きながら、姐さんは公園へと向かっていった。

 ……さて、やるか。
 あたしは倒れている犯人だった男の近くに立つ。
 スラリとした体型の、眼鏡をかけた青年だった。こんなことがなければ、それなりにモテていたことであろう。
 このまま放っておいてもいいのだが……それは可哀想だ。彼だって、ある意味では被害者なのだから。
 とはいえ、無罪放免というわけにも行かない。罪を犯したことには間違いないのだから。
 そんなことを考えながら、懐に隠していたナイフを取り出し、自分の掌を軽く撫でるように切り付ける。
 当然、そこから血が噴き出てくる。
『呪え、我が従僕よ。その在り方を否定せよ。その形を否定せよ。そして、新たなるモノへと堕とせ』
 そう呟きながら、あたしは血の出ている手を自分の影へ突っ込ませる。
 1、2、3。
 きっかり3秒数え、影から手を引き抜く。
 そして再び、1、2、3。
 ぽんっと、あたしの影の中から勢いよく黒いスライムが飛び出してきた。
 スライムはその勢いのまま、犯人の男に飛び掛り、あっという間に全身を包んだ。
 ぐにゃぐにゃと大きく形を変え、男の身体の形を変えていく。

 あたしの『呪い』の一つ、『スライム整体術』である。ネーミングがひどいのは仕様だ。思いつかなかったんだから仕方がない。
 これはあたしの血を媒介にしてスライムを召喚し、相手を別の姿に変えてしまうという、非常に他力本願な呪法である。
 ティアの奇跡を参考に編み出した、新しい呪法。せっかくだから、ここで試すことにした。
 これが呪いかって?あたしが呪いだと思っているんだから、少なくともあたしが使う分には『呪い』だ。
 結局のところ、奇跡というのは使用者の「思い込み」次第でどうとでもなる。
 例えば火を使える奇跡使いが二人いて、一人は自分の拳に火を纏わせて殴れるとする。でも、もう一人は火を杖から放出することしかできない。同じことをしようとしたら火傷をする。
 この二人の違いは、たった一つ。「自分の火で火傷をする」という認識があるか、ただそれだけ。
 たったそれだけの思い込みで、同じような奇跡でも使い方が変わってしまうのだ。
 そして、それは今回あたしが使ったこの呪法も同じ。
 「『自分の血を捧げて、スライムに呪いをかけてもらう』という『呪い』を使える」と、そう信じているから使えるのだ。
 欠点があるとすれば、「スライムの中でどのような変化が起こっているか誰にもわからない」ということ。非常に残念だ。

 やがて、スライムの動きが小さくなっていき、中身の形がはっきりと浮かび上がっていく。
 だがその形状は、先ほど倒れていた男の物とはかけ離れた、まったくの別物であった。
 まず、全身が一回りほど小さくなっており、細身になっている。
 腰の辺りがきゅっと括れていて、股間の辺りが妙にすっきりしている。
 スライムに押し付けられた太ももはむっちりとしていて、まるで光沢のある黒いストッキングを履いているようであった。
 そして極めつけは、大きく膨らんだ胸。スライムがぴっちりと張り付いていて、胸の形をはっきりと浮かび上がらせている。なんだかエロい。
『我が従僕よ、下がれ』
 スライムが消えると、そこにいたのは先ほどまでそこにいた男とは似ても似つかない整った顔立ちを持つ、女性だった。
 胸が大きく膨らんでいる。女のあたしでも一瞬目を奪われるほど立派な形だった。羨ましいことだ。
 さて、『彼女』が気付く前に立ち去ることにしよう。
 まったくの別人として生きなくてはならない、それがあたしから彼に与える罰だ。
 まあ、男のままだと捕まるだけだし、運がよければ誰かが助けてくれるかもしれない。まあ、頑張るといい。
 ……悪い男達に捕まって犯される可能性のほうがあると思うけど、そうならないことを一応願っておくよ。
 あんたもまあ、被害者みたいなもんだし、救済の可能性があるほうがいいでしょ?

 公園に着くと、姐さんがぐったりとした様子で近付いてくる。
「……子供は苦手だ。後は任す」
 そう言って子供みたいな体格の人は、あっというまに走り去っていった。無責任だ。というか、この短時間で何があった。
 公園のベンチで寄り添うように寝ている二人の少女を見つけた。
 ……この子達、どうしようか。
 助けたのはいいけど、これからどのように扱うべきか。両親のいなくなった家に帰すのは、少し可哀想な気もするし……。
「おかあ、さん……」
 小さい方の少女が小さく呟く。寝言、だろうか。
 このくらいの年齢の子には親が必要だよねぇ……。
 ま、最悪の場合あたしが引き取ればいいか。

 この時のあたしは、まさか本当に自分がこの子達を引き取り育てることになるとは思いもしなかったのだが。
 そしてこの日を境に、連続強盗傷害事件が起きなくなることも、まだ知らない。




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