クロス1 私の彼女は魔法使い



 いつものように、私は7時に目覚め、8時に家を出た。
 天気は曇り。まあ、いつものことだ。
 愛用のポンコツバイクを走らせて、いつものように彼女の家へと向かう。
 確か今日は『姉』の方がいるはずなので、起きているだろう。
 起こす手間がかからないのはありがたいことである。

 しばらくすると目的の建物に辿り着く。
 この町では数少なくなったマンション(5階建て。2LDK)の3階、中心辺りに彼女たちは住んでいる。
 合鍵を使い、あがりこむと、ちょうどトイレから一人の女性が出てくるところだった。
 長身でスタイルのいい女性は私に気づくと、いつもの無愛想な表情のまま話しかけてくる。
「ヒカリ、おはよう。朝食は?」
「おはようございます。いつも通り、食べてませんよ、空さん」
「わかった。リビングで待ってな」
 無愛想な顔のまま、彼女の姉――黒田 空はキッチンへと向かっていった。
 言われたとおりリビングに向かうと、そこにはすでに先客がいた。
 空さんとは対照的な、小柄な少女――黒田 素子。通称、モトちゃん。私の彼女だ。
「あ、ヒカリさんおはよぉ」
 いつものように黒いワンピースに身を包んだモトちゃんは、私に気づくと満面の笑みで飛びついてきた。
 抱きつかれるとよくわかるが、モトちゃんは年齢の割りに小さくて、軽い。
 それほど大きくない私の胸元辺りまでしか身長がなく、非力な私でも抱きとめられるくらいに軽い。
 これで16歳とはとても思えない。実際、もっと若く見られることも多いみたいだし。
 それにしても、相変わらず、正反対の性質の姉妹である。
 共通点があるとすれば、服の色の趣味(黒が好き)と、本質的な部分であろうか。
「おはよ。朝から元気ね」
「だって、朝ですよ?新しい朝ですよ?希望の朝だって、昔の歌でもあったですよぅ?」
「ああ、そんな歌もあったね。よく知ってるじゃない?」
「昨日発掘した『かせっとてーぷ』に入ってたんですよぅ。お宝、です!」
 モトちゃんの言う『お宝』は、普通の人にとってはガラクタである。
 『終焉の日』以降音楽再生機器の価値が値上がりしていてることを差し引いても、カセットテープの価値はそこまで高くはない。
「……よく、見つけたもんだね」
「人にとって必要のないものは、あたしのところに集まるようになってるんですよ〜♪」
 いつも以上にご機嫌だ。よっぽど、そのテープがお気に入りらしい。
 正直、この辺の感覚は私や空さんも理解できない部分だ。
 だが、不要品がモトちゃんのところに集まってくるというのは間違いではない。
 『私』が言うんだから、間違いない。
「いちゃついてるところで悪いが、ご飯、できたぞ」
 そう言いながら空さんがお盆に朝食を乗っけてリビングへやってくる。
 今日の朝食は白米と納豆と味噌汁。見事に日本人的な食事である。日本食万歳。



 朝食後、空さんは「3日くらいで帰る」と言い残して出かけていった。
 これもまた、いつも通りである。
「さて、何をしましょうか?」
 モトちゃんが私の膝の上に座りながら見上げてくる。
「お出掛け?ゲーム?読書?えっち?キス?なんでもいいですよ?」
 さりげなくえっちとか入れるな16歳。
「えー。16なら結婚できるんですよ?じゃあえちぃことしたっていいと思うんです」
「そういうことは夜に考えなさい」
 昼間からやるのは……疲れるのですよ。
「うぅ〜、残念〜」
 そう言いながらあたしの胸に顔をうずめてくる。
「ヒカリさんのおっぱい、柔らかいなぁ……」
「そうやってなし崩し的にえちぃ展開に持ってこうとするのはどうかと思うわよ」
 エロガキめ。
「今日は『研究』はないの?」
「昨日のうちにある程度終わってまして〜。後は、実戦で実践するだけですにょよ」
「40点」
「……厳しいですねぇ」
 安易な駄洒落を言う方が悪い。
 実戦か……。
 出掛ければ何かあるかもしれないね。
 何もないかもしれないが、それならそれでデートを楽しめばいい。
「じゃあ、出掛けようか。ショッピング」
「ああ、いいですねぇ。何買います?服ですか?水着ですか?それとも下着?」
「全部衣類ね、それは。ついでに水着はまだ早いわ」
 だんだん布面積が狭くなってるのが、欲望に忠実なこの娘らしい。
 放っておくと『馬鹿には見えない服』とか言い出しそうなので、その前に行き先を決めてしまおう。
「裏町の闇市でも行く?あそこなら珍しい物も多いし、服もあるでしょう」
「あ!それいいですね!」
 案の定目を輝かせて大喜びのモトちゃん。
 ガラクタだらけの闇市は、モトちゃんにはまさに宝の山だ。
「そうと決まれば早速行きましょう!準備してきます!」
 そう言ってあっという間に部屋に戻り、すぐに戻ってくる。
 先ほどまでとは違い、黒と赤によるチェック柄のゴシックドレス、その上に黒いマントを羽織り、とんがり帽子という出で立ち。
 そして手には木でできた一本の箒。
 これが、モトちゃんお気に入りの余所行き服である。
 どこからどう見ても魔女にしか見えない。
「それじゃ、行きましょうか!」
 可愛らしい魔女は、可愛らしい笑顔で私の手を引っ張り、外へ飛び出した。


 裏町。
 『終焉の日』以降、私達の町にはこう呼ばれる場所が生まれていた。
 どんな場所かを一言で表すなら、『ルールに厳しい無法地帯』である。
 例えばここでは非合法な物も比較的簡単に手に入る。
 銃器や刀剣、爆発物に盗聴器、ガジェット(超常的な力を秘めた不思議な道具で、制御可能なもの)その他一般流通に乗らないようなものが普通に売っている。
 例えばここでは命が簡単に失われる。
 『奇跡使い』(奇跡や超能力等、不可思議な能力を持ち、かつ人間に属する者)や『ガジェット使い』がちょっとした喧嘩を始めた結果、大規模な暴動にまで発展することも多々ある。
 例えばここでは警戒心が重要になってくる。
 スリや詐欺、果ては恐喝や強盗といった犯罪もすぐ傍に存在するのだ。
 そんな場所が町として成立するのは、偏に管理団体である『賽の河原屋』が優秀だからだったりする。
 『賽の河原屋』は『終焉の日』以降この辺りで幅を利かせる『奇跡使い』の団体だ。
 彼らの監視により、裏町は紙一重で平和を保っているといっても過言ではない。
 例えば何でも売っているとはいえ、非合法ドラッグや毒ガス等は販売禁止で、もし売っているのが見つかれば彼らに『処理』されることになる。
 人道面で問題がある気がするが、ここでは彼らがルールであり、そもそもそんな物を持ち込むほうが悪い。
 例えば大きな喧嘩が始まれば、真っ先に彼らが鎮圧にかかってくる。
 その際、近くにいると関係なくても巻き込まれる可能性があるのが『賽の河原屋』内部でもしばしば問題になっているとかいないとか。
 例えば何かトラブルに巻き込まれても、彼らが相談に乗ってくれるだろう。
 ただし、中には優秀でない者や不真面目な者もいるので、そういった人材にすがらないようにするため、結局警戒心は必要だ。
 このようにいろいろ問題面こそあるものの、ある程度の「距離感」を見極めれば、裏町は非常に便利な町なのだ。
 もっとも、私達の場合は「距離感」を見極める必要などないのだが。

「あ、ヒカリさん、あれ見てあれ!」
「ん、どれ?」
「なんか大きいフロッピーがあります!」
 あ、ホントだ。大きい。
 普通のより一回り大きい。いったいどうやって使うんだろう。
 ……まあ、普通のフロッピーすら使わないから、どうでもいいんだけど。
「あ、ソノシートだ」
「ホントだ。たくさんあるね」
「レコードがあれば、全部買うのになぁ……」
 うん、レコード持ってなくて良かった。
 需要のありそうな物は何故か逆に見つからないのが裏町七不思議の一つである。
 いや、単純に売れてるんだろうけど。
「あ、服ありますね、服」
「男物だね」
「ヒカリさん男装似合いそうですよね」
 ……着ませんよ?サイズ合いませんから。背とか胸とか。
「LLくらいのワイシャツ買うんで、それだけで着てくれませんか?」
「嫌だよ。なんだか知らないけどエロい感じがするし」
 そもそもそれは男装ではないと思うのですが。
 ……と、こんな感じで露天を見ていると、モトちゃんの動きが止まる。
 視線の先には、木彫りの熊が売っていた。
 それも普通の木彫りの熊よりも大きく、造詣が大胆かつ繊細という、素人目にも凄そうな感じの物だ。
 ただ、普通の家には置けない。
 なにせそれは、体長2メートルくらいの熊をそのまま木彫りで再現したかのような、馬鹿みたいな大きさの物だったからだ。
 そしてそんな物を、モトちゃんは見つめていた。
「……」
 じっと黙ったまま、モトちゃんはその場から動こうとしない。
 ……ああ、気に入ったんだ、アレ。
 やがて懐から財布を取り出し、真剣な表情でこちらを見て、
「ヒカリさん、ちょっとアレ買ってきます」
 とだけ言い残し、店の人へと話しかけていった。
 ……いろいろ言いたいことはあるが、まず、どこに置く気なのだろうか。
 さすがにあんなでかい物は、モトちゃんの家の扉すら通せないのだが。
 そもそもどこを気に入ったのだろうか。
 作り物とはいえグリズリーサイズの熊(しかも妙にリアル)を可愛いと思える感性は、付き合いの長さに定評のある私も理解できない部分だ。
「あら、ヒカリじゃない」
 店主と交渉するモトちゃんの微笑ましい光景を見ていたら、聞き覚えのある声に後ろから呼びかけられた。
 振り返ると、長身の女性が軽く右手を振りながら近付いてくる。ちなみに彼女の左腕は大きめの胸を支えるため、常に胸の下にある。
「……なんでアサギさんがこんなところにいるんだよ」
 私は嫌そうな態度を隠さずに返事をした。
「なによ、わたくしがここにいるのがそんなに気に入らない?」
 ええ、とっても。だってあなた、「羅針盤」ですもの。
 この辺りには二つの大きな組織がある。
 一つは『賽の河原屋』。もう一つが、アサギさんの所属している『箱舟』だ。
 『賽の河原屋』が「裏町の秩序を保つ」という目的のために集まっているのに対し、『箱舟』はリーダーである『ノア』さんの圧倒的カリスマに惹かれて集まった者達だ。(組織としての目的は特にない)
 そんな中でもアサギさんは『箱舟』においては事実上のNo.2の座に収まっている、いわば『ノア』さんの右腕的存在だ。
 とはいえ、戦闘能力は皆無。参謀的な事ができるわけでもない。
 そんな彼女がNo.2である理由は、その『奇跡』(魔法や超能力といった能力を一くくりに纏めた便利な言葉)にある。
 彼女の『奇跡』、それが「羅針盤」である。
 「羅針盤」という名前の通り、アサギさんは方角を知ることに長けている。ただし、その方角は決して東西南北といった方位を表すものではない。
 アサギさんの指し示す方角が意味する物は、「探し物のある場所」だ。
 たとえそれがどんな物であっても、どんな場所であっても、それが「なんだかよくわからないモノ」でも――アサギさんは、確実に求めるモノのある方角を指し示すことができるのだ。
 そう、例えそれが「危険なモノ」であっても。
「……他の『箱舟』の人達は?」
「今日は一人で来たわ。近くにあなたたちがいることはわかっていたしね」
 うわ、やっぱり巻き込む気だ。
「……で、何を探してるんです?まさか日常品を買いに来ただけ、なんてことはないですよね?」
 私としてはその方が嬉しいですけど。
「ここ最近、ちょっとしたテロが流行っててね」
「テロですか?別に珍しくもないですよ、そんなもの」
「テロ自体はね。ただ、方法が問題なのよ」
 テロという行為自体、問題だらけだと思う。
「例えば……そうね。街中に動物のオブジェが置いてあっても誰も気にしないわよね?」
「大きさにもよると思いますが、まあ、邪魔にならなければ気にしませんね」
「で、そのオブジェが突然、本物の動物――それも、猛獣になったら危ないわよね」
 そりゃ危険ですね、当然です。
 でもそんな不可思議な物、存在するわけ……ないとは、言い切れないんだったね。
「……探し物は、それですか?」
「ええ。どうやら「生物を無生物へと一時的に変化させる」力を持った『奇跡使い』がいるみたいでね。
 今回のわたくしのお仕事は、それの回収。それも、クライアントの希望で、なるべく無傷で回収することになってるわ。
 というわけで、この近くに妙にリアルな動物のオブジェなかった?例えば――あんな感じの」
 アサギさんが指差した先には、モトちゃんが欲しがっていた大きな木彫りの熊があった。
「……まさに、アレね」
「……アレ、ですか」
 今にも動き出しそうな、精巧な造りの熊。
 その近くには、店主に値切り交渉するモトちゃんがいた。
 そのモトちゃんの姿を追うように、熊の目が動いた気がした
「……動き出す条件って、わかります?」
「……近くに、『奇跡』に類する力を持った者がいること。力が強ければ強いほど、目覚めは、早くなる」
 ……最悪だ。
 アサギさんを見ると、顔が引きつっていた。
 当然だ。この後に起こることは、私達にはよくわかっているんだから。
 熊の置物は、あっというまに、本来の毛並みを取り戻していた。
 体長2mを超える大きな熊。重さは400kgほどであろうか。
 その巨体から繰り出される一撃は、モトちゃんのような小柄な少女などひとたまりもない。
「クォンッ!!」
 思ったよりも可愛らしい声を上げた熊。
 その声でモトちゃんは熊の存在にやっと気付いて、そして――最期の瞬間は、呆気なく訪れた。
 ただしそれは、モトちゃんのではない。
「……なんだか知らないけど、悪く思わないでね。あたし、まだ死ぬ気はないから」
 そう言ったモトちゃんの手には愛用の箒が握られていて、その柄の先端を熊の眉間に向けていた。
 そして何の躊躇いもなく。
『Assault Laser』
 その呟きと共に、柄の先端から一筋の光線が放たれ、熊の眉間を貫いた。

「……やっちゃった」
 がっくりとアサギさんが肩を落とす。
「まあ、仕方ないですね。相手が悪い」
「他人事だと思って……」
「他人事ですから」
 勝手に人を巻き込もうとする方が悪い。
 そんな勝手な人の事は放っておき、私は私のやるべきことをやる。
 私は熊の亡骸に手を合わせているモトちゃんの傍へと立つ。
 モトちゃんは私に抱きつき、顔を押し付けてきた。
「……何度やっても、慣れません。いのちをうばう、なんてこと」
 そう言って、身体を震わせるモトちゃんの頭を、私はそっとなでる。
「……そっか、そうだよね」
 たとえどれだけ言葉で強がっていても。
 たとえどれだけ心を非情に見せても。
 他の命を奪うということは、モトちゃんにはとても、重い。

 『終焉の日』。
 人類の存亡をかけた争いが、一応の解決を見せた3年前の出来事。
 その戦いの片隅で、いくつもの命が失われるのを見続けて。
 いくつもの命を奪って。
 ある時は誰かを守るため。またある時は、自分の身を守るため。
 いつだって後悔し続けて。
 いつだって泣き続けて。
 戦うたびに、心も身体も傷ついて。
 でも、それでも戦い続けた少女がいた。
 少女は、『魔法使い』だった。
 少女は、『英雄』だった。
 でも、少女はやはり『少女』だった。
 年相応の、幼い少女だった。

 それが、黒田 素子。
 今はただの、私の恋人である。





 ……それにしても、この熊は『誰が』『なんのために』『こんな場所へ』仕掛けたのだろうか。
 なんだか、嫌な予感がした。

 そして、私のそういう予感は、大体当たるのだ。




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